講員になりたいという人。
だが、なんだか密教修行をしに外国に行き、それを究め終わったら来たいという。
どうも妙な話だ。いまする話じゃないようだね。
「じゃあ今すぐじゃないですね。だったら修行が終わってそのころにどうぞ」と言って電話を切ったら、亦かかってきて「統合失調症の祈願を頼みたい」というので、「いや精神病の方は単独で講員になってはいただけないんです」というと、さらにその直後も電話がかかってきて今度は「実はパニック障害なのだ」という。
統合失調症とパニック障害は全く違うはずだが・・・なんであれ精神疾患の人は講員にはしません。
なぜなら私がそういう病気の接し方に無智だから一切指導ができないからです。
かえって害のあることも指導してしまわないという保障がない。
指導不可能。
ですから今後も無慈悲なようだがすべてそういう方はお断りします。
それが私のモラルです。
お役に立てないのに期待はもたせたくない。
害になる可能性も捨てられない。危険ですらあるのだ。
アスペルガーの人も同様に扱う。なおせません。
そうしたらこの方は「そんなこといったら 霊能者はみな精神病でしょう」という。
私はそうは思わないがあえて反論しないで「だからうちは霊能者だと自分でいってくる人は講員にしていない」
というと
「先生も霊能者じゃないのですか?」という。
「違います。」と言って切った。
これは本当に違うのだ。ま、頭がおかしいというのは確かに私もそうかもしれないが・・
私は霊能者というのは能動的に霊的なパワーをつかえる人だと思っている。
だが、私は能動的に使える霊能力はなにひとつない。
皆「梓」と名乗る背後霊が彼の意志で教えてくれるだけなのだ。
私自身は霊視もできないし、霊聴の力も何もない。
見えることがあっても「梓」が目を貸して見せてくれるだけで自分が見ようと思ってみることができてはいない。
そういう時はいかにも霊能があるように見えるだけだ。
だが、実は霊能力はなにひとつない。
わたしの「能力」ではないのだ。
ゆえに霊能で商売などまったくできない。霊的なものを見てくれと言っても何もわからない。なにも見えない。
普通の皆さんと何も変わらない。
時に触れ「梓」は自由意志で向こうからなにごとか言ってくるだけで。
逆に私が何か尋ねても答える存在ではない。
私自身にもたいして興味はもっているわけでもなければ、評価しているわけでもないらしい。
ただ、なにかしらの霊的な仕組みの上での役目でいるだけのようだ。
だから「霊能」などない。