さきの話のようにこんなことをいうと霊能力自体の指導をしているのかと勘違いされることがあるがそんなことはしていない。
というよりできやしない。
せいぜい、既に霊能力ある人をどうあるべきなのかという能力者の心得るべきことを昔の修験道などの教えから引いてきて言っているだけだ。
存海の「行者用心」などは良いテキストだ。
だが霊能自体についてはわからない。
よく私のところに自分は霊感の強いのだという人が来るがダメだとすぐわかるのは「ああ、この人はなにも感応しない・・・多分、思い込みだけだなあ・・・。」と思う時。
私自身は霊能というものは何も持ち合わせていない。
全て霊狐の介在で霊能があるように見えるだけだ。
全て霊狐次第だから、こちらの意志や都合で見たいものがわかり、聞きたいものが聞こえるとかは一切ない。
だが面白いことに霊能がある人と相対すると一時的に色々わかることがある。
こちらが相手の能力に感応してそういう能力が一時的に増大するのかもしれない。情報が流れ込む感じ。要は私でなく相手の能力の産物だ。
時にそうなると、すらすらと知るはずのないことなどしゃべって不思議がられ、まるで霊能者と思われることもあるのがそうではない。
「え、なんでわかるのですか?」などと言われるがわかるわけがない。
感応してくるものを口にしているだけのこと。
だから「こうでしょう?」とは言わず、「こうですか?」と尋ねるのみだ。
逆に本人は自慢しようと実際は全く何の霊感もない人には全くこちらも感応しない。
だからいくら「わたし、霊感が強くて・・・」と言われてもなにも感じないなら「ああ。そうなんですか・・・フ~ム」でおしまい。
そういう人はしまいに「あの人の霊能は理解してもらっているようだが、自分の霊感は理解してもらえないのか?これって一種の差別じゃないか?」と思って不快に思い去る人もいるが、馬鹿いっちゃいけない。理解しないのでも差別でもない。いくら何が見えるのやってきたのと言っても感応しないから何もいいようがないのだ。
話としては構わないが、前提にはできない。
精神病の人もあろう。
わからないからあえてそれを口にはしない。
だが、他の言動と合わすとどう考えてもあまりに変なので病気だろうと思う人もいるね。
まあ、私だけが正しいなどとは毛頭思わないし、人によっては波長が合わないだけかもしれないが、結果的にはそういう方はここにいてもどうもならないと思う。
ほかにいいところあるかもよ。(笑)