金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

霊感と心眼

「霊感がないと行者さんになるのは無理ですか?」
そんなことはありません。
むしろない方が余計なものに惑わされず修行に打ち込めます。
そういうのが好きな人は厄介なものです。やれ何が見えたの聞こえたのと先に進まない。
それがないといけないと思い込む。

基本的に見えようが聞こえようが、未熟なものが自分にはともかくもそれを他者にも意味あるものだとして語ることは修行の場では許されません。

磨くべきはまことに意味あるものは何かを見抜く心眼で霊感ではない。
心眼は我欲に引きずられないことによって磨かれますから心眼を磨くことは仏道修行と一つです。
霊感は希望的観測で愚かな幻覚に酔いしれるような間違いも多々あるので難しいですね。

故に霊狐さんも「あれこれと日々のことにお告げなどはいらぬ。皆、仏道に照らせばわかること。ゆえに個人の問題にあれこれ物言うことは我はせぬぞ。自分で考えれば分かること。それが修行だ。」といわれます。
一々こまごまとお告げで事を決めるのは仏道を離れる道であり、人知届かぬ例外的なこと以外はあってはならぬことというのです。
「ではたずねるが・・・誰もがそうやって生きていくのか?お前はそれをおかしいとは思わぬか?」と言われる。

故に霊感判断だの霊視だのなどはうちでは一切することはありません。
霊狐さんの言葉を受けるほかは私自身は凡人ですので何一つそう言う霊能は無い。
別に霊狐さんは私の商売に関心などない。
もしも霊能の看板など上げれば、「お前がなにかしらみられるのか?なら自分でやれ。我は知らぬぞ。」と言われることでしょう。
そういうつもりで来るのは時間の無駄以外の何物でもないのが当院です。