えてして人がわからない存在が見える 聞こえる があれば。自分には行者になる才能があると思い込む人は多い。
実に困ったものだ。
実際、わが門下では霊の声が聞こえるの、神仏の声が聞こえるのということを聞かれもしないのに言って来て一人前の行者になれた人はだれ一人いない。
修行したいなどと言っても、結局は自分の霊感を第一の寄る辺として振り回され自滅する。
修行して残った人はそういう強い霊能があっても自己を誇らず、必ず、それが何なのか?どう考えるべきか?の答えを常に私に問うてきた人だ。
自慢げに霊能アピールしてくる人は例外なく講員になることもお断り対象だ。
面倒で扱いづらくて周囲にまで悪影響がある。まっぴらごめんだ。
こういう方々は 大体 こうなんです。ああなんです。と一方的に結論を言い放つだけ。
ひどいのは、自分のお告げの解説をしてきたり、そもそも霊というものはこれこれこうなんです。と蘊蓄垂れてくる者もいる。
それで自分には才能があるなどと内心自信があるのだろうが、私に言わせればそれこそがまったく身の程知らず、恥知らずだ。
そういうことを口にして当院では生き残った人はいない。
そもそもそういう人間に修行させる気もない。
得度、修行などさせれば、ますますお墨付きで独りよがりのお告げを乱発して世の中の迷惑になるからだ。
ひとりだちすれればともかく、口を慎むというのが修行中の極めて大事な徳目だ。
たとえどんな霊能があってもおしゃべりはダメだ。口を慎む人だけが残る。