羽田談
動画で語られる御説もまた大変に大事なことと思うが・・・
私に言わせればむしろ准胝院さんに限っては優れた行者であるからこそ『二足の草鞋』でいけるのだろう。
二足の草鞋行者は決して少なくないばかりか、実際、専業行者よりはるかに多い。
在家出身で社会的に活躍する年なら当然そうなるのが自明の理だ。
対するに専業行者は生まれながらに祈祷寺院に生まれた方などがほとんどだ。
私などはこれしかできない。勤め人には到底なれない。
まあ、よく言うならこれしか能がないのが幸いしたケースかもしれない。
そういう人間もたまにある。
とはいえ、プロとしての行者は頑れば万人等しくなれるというものではない。
修行者の精進はもちろんだが強く導く存在がいてこそだ。
私の場合は極めて下根劣恵ながら素晴らしい師匠と歓喜天や守護霊。行者だった先祖霊のご縁があってこそでなんとかここまで来れたと思う。感謝・感謝しかない。
だから導く存在(師匠・神霊)の手ごたえを感じないならもうきっぱりとあきらめてプロの行者の道は考えないということもとても大事なことだと思う。
そこを見切れないで人生を無駄にしていただきたくないのだ。
このゆえに見込み無さそうなら自行はいいがプロへの指導は容赦なくはっきり断っている。
頑張っても無駄な人は無駄だからだ。
それは「違う!」と思う人は改めて師匠を求めればいい。それもまたいいだろう。
私という師がダメだから育てられないということもないわけではないだろうからね。
最近、動画と同じように「生活に追われて行をすることを第一にしたいのにできない」という相談があったが、私は「それでいい。あなたは年齢や状況から考えて行よりも食べていく生活こそまず大事にすべきでしょう」と答えた。