羽田談
行にはカルマの洗い出しということが起きる。
洗いだしなのか、ただの失敗なのか?
その見極めをするのが阿闍梨である。
洗い出しなら可能なら継続。
失敗はやりなおし。
こいつは無理だ!はもうやめていただくほかない。
そういう関所でもある。
10万遍の真言念誦をさせて帰って来るや、勝手に方々行って、しかもよその道場のことを私に聞き、切れて怒鳴った人もいる。
師匠に怒鳴る。
それだけでもう十分に追放に値する。
その行いに性格の底も見えるので復帰は二度とない。
そういう人間には行はさせてはいけない。
行をする者は柔和で素直なことが大事だとわが師は常にいわれた。
行者間でトラブルを起こすようなものは行者としての慎みがない。
ましてや駄目なのが目に見えている人にさせるのはお互い時間の無駄だ。