金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

文字通りでほかの意味はない。

昔、あることがらについて話をされてその人に「乗り越えなさい」という霊狐さんの言葉を伝えたという。

正確には私の言葉ではないのでそれ自体、はっきり言って憶えてはいない。

今になってそれはどういう意味かとひとづてに聞かれた・・・・

ある事柄とはことこまかには憶えていないがたしか、上下の人間関係のことがらだった。

これは今になってあるいは 訴えてやろうかと思っているらしいが、訴える 訴えないは別にして梓霊狐はそういう具体的な行動のことは過去にも一遍も言ったことはない。

 

人によっては「この銘柄の株を買っていいか聞いてくれ」という人もあったが答えは言うまでもなく「知らぬ」でおしまいだ。

そんなことは彼にとって興味ないのだ。いわゆるお告げではない。

逆にそういうお告げ信仰 霊能信仰はしてはいけない、させてはいけないという。

そこから生まれるのはどううまくいこうが最終的には「思考停止」と「依存」という毒だけだ。

私はそういう方向を求めようとする人は徹底して排除している。

「ホントはわかるんでしょ?先生」などと言ってくる人は魔類だと思っているから。

 

まっとうな霊狐界の掟では「魂の成長」にゆくべき道を示すことはあっても、人間の行動にこれこれと具体的に君臨してはいけないのだと言う。

それは邪狐や妖狐のすることだという。

世の中にはそう言うしっぽの生えた教祖様がごまんとおいでだ。聞きたくばそこへ行くがいい。

皆の思う損得と霊狐の思うことは価値観からして違うのだ。

したがって訴えるか、訴えないかなどと言う煩瑣なことは其の人が決めるべきことだろう。

 

だからそのこと自体は憶えていないが。思うに乗り越えるという意味は。たとえ忌まわしい体験であってもそこからも「学びを得て前に進め」ということに他ならない。それ以外ないと思う。

私は霊狐ではないが、ほかの意味も具体的にどうせよもないと思う。

どうすべきか考えるのが修行というものじゃないのか?