案内役のクロベエです。 これからブログの看板になりますのでよろしくね
霊的判断は難しいものです。一方的に見える、聞こえるなどと伝えてもいけない。
やはり相談者に心当たりは?と聞きながら自分もどういうことなのかを探り話を進めます。それが大事だと思う。
うちでは基本、外部の人の霊的問題は扱わない。
霊的問題という前提で入るのは多くの間違いを生む。
目の前で物理現象やポルターガイストでも起きない限り。
しかしながら付随的に通常の問題の陰にそれがかかわるか否かは見ることはあります。
その場合は基本は五体加持。それで探る。
信者さんと向かい合って祭文や真言をと那え、トランスに導いてその表情から探る。
霊狐さんにきいてくれという人もいますが・・・
霊狐さんは別に要望に応えてはくれない。たまにアドバイスはくれることもあるけど、いつもはない。そういうお告げ依存はあってはならないという。
霊狐さんはお告げ依存は邪信になるという。
この前ある人の因縁調査をしました。
本人は思い込みの激しい性格。こういうのは直接お加持すると中には口を開き、自分で因縁語る人もいますが、そういうのはほとんどあてにならないものです。
多分に本人の思い込みの表出だからです。
暗に先祖が浮かばれていないと思い込んでいればそういう先祖が出てきて助けを求める。
そんなのいちいちまともに相手にしていたら堂々巡りの罠にはまる。
解決はない。
そういう時は感度の言い第三者を霊媒に立てる。
いわゆる「中座」です。お代さんとか寄り代ともいう。
実はこれが本来はオーソドックスなやり方なんですね。
「前座」というお加持する側が霊感がなくても「中座」を通じて事情を探る。
行者はファシリテーター役に徹する。
だから昔は山伏と俗巫女が夫婦でお加持やってたりすることは多かったようです。
師匠も弟子にそういう人多かったし、師匠の師匠は奥さんがそうでした。
この時も感度の良いセミプロの信者に頼んで中座をしてもらった。
結果はやはりなるほどねと思うものでした。