羽田談
鷲谷日賢は戦前の日蓮宗の僧侶だが。神おろしをして霊界や神界の構造を解き明かし「本門の戒壇と霊界の統一」という本を出した。
まあ、私に言わせれば霊感者というよりは精神病の人だ。
彼によると様々な神々が法華経に帰依するために彼のもと訪れる。
例えば私の記憶では奥山半蔵坊は実は「如意迦楼羅王」で法華経帰依のために鷲谷のもとに現れたと有る。
万事がこの調子で法華経に帰依する日本中、いや海外からも神霊が改宗して我も我もと日賢のもとに押し寄せるのだ。
全ての神霊が「皆帰妙法」妙法蓮華経に帰依を願うから「霊界の統一」がなるのだ。
私に言わせれば霊感とは個人レベルのものだ。あるいはせいぜいその周辺だ。
個人の心、強烈に信じる心が生み出す幻影だ。
だから鷲谷にとって奥山半蔵坊が法華信仰帰依の神であることは文句はない。
だが方広寺に行って臨済宗をやめて日蓮宗にしろなどというのは狂人だろう。
タオえばガネーシャはヒンドゥの神だ。だが、仏教でも聖天尊としている。聖天尊いなって仏教に帰依したのだからガネーシャはヒンドゥを捨てているなどというのは狂人だ。
だから世界的なことを霊感で云々することは基本的にできないと思う。
動物的な直感でカタストロフの危機回避はできる人というのはあると思うが。
だが、そういうことで公を云々する神秘思想は必ず失敗する。
ノストラダムスだの マヤ暦だの というが大規模予言というのは当たったためしなどない。
日本の神霊家として名高い「大本教」の出口王仁三郎は「大正55年にはに火の雨が降って平らげられる」と予言した。
大正55年はないがいってみれば昭和10年だろう。
昭和20年の東京大空襲や原爆のことと取る向きもあるがそれには10年の開きがある。
霊感は自己の心識の域を出ないからこうした世界的予言はほぼはずれるのだ。
来年七月にも何かあるという。何があるかわかるか聞いてくる人もいるが知るわけない。
だが概ねはずすと私は思う。
王仁三郎の側近の信者にはこの予言を受けて金竜・銀龍が帝都の四方で守護していると霊視現象さえおきてくる。
皆同調して信じることによる幻だ。
結果、どうなったか?
王仁三郎は投獄。
綾部の月宮殿は爆破された。
帝都の守護どころか、自分の本拠地もこの結果だ。
大本教を揶揄する気はないがこれは現実だ。
予言宗教には近づかぬことが無難だと思う。
霊感とはほぼ自分がどうすべきかへの内なるメッセージだ。
それでうまく生きていければ十分に、立派な霊感者だろう。
それを自分のことも解決できずにはじめから人に吹聴する。
そのメッセージを周囲の人に自分の能力として認めさせようとする人がいる。
それがそもそも大きな考え違いというものだ。
だから霊感でこう感じる。ああ感じるそのものは構わない。
だがそこから何かをくみ取るのあなた自身だ。
まず他人ではない筈だ。
当院にもそう言うタイプの人は何人かいたが皆、失望のうちに去る結果となる。
これからもそうだ。
霊感があること自体は結構なことだろう。
悪くない。
だが、やたら見えた 聞こえた と言ってそれをもって人をに吹聴し認めさせようとする者は「寺に有害な人物」として当院をお辞めいただくことにしているからだ。
個人的なメッセージを私や皆に認めろということ自体がもう認知がゆがんだ精神の病だ。
正しい霊能者は他人に余計なことは口に出さないで黙っているものだ。