金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

飯縄大明神 出来

私は拙寺でうちで一修行したひとにはできるだけのことをする主義です。

さいわい最初の内弟子の久高師も本山住職になったり、藤川師も埼玉で寺を一軒買って専業僧侶までしているので、内心安心し、喜んでいます。

 

田阪師は色々心配もありますが拝む力はもうしっかりあると思っている。

お金を融通したりはしませんができるだけの武器はもたせる。

 

それは法という武器です。

後は世の中をどう生きていくかまでではわからない。

本人次第です。

それが私流、法嗣の養成は損得ではない。

修行費や法衣まで入れたり、他の研修などいれれば持ち出しの方がはるかに多い。(笑)

法の継手というものはそのようにして大事に育てるものと聞いている。

 

昔、比叡山で有名な千日阿闍梨のĀ猊下はお弟子さんが弟子を連れて挨拶に来ると、「お前、弟子を持つはよいが、その人ちゃんと一人前に育てられるのか!」と聞いたという。

その阿闍梨さんの道場では厳しさ極まる修行があったが、お弟子ということでは厳しくもしっかりと育てたそうです。

信者より弟子を大事にされたと言う。

弟子は法を盛る継承の器だからだそうである。

それで、その一門の皆様方はみな現に比叡山でも一流の方々になっておられる。

そのお話が心にある。

 

だが、ここから出たらある意味、戦場だ。私にできることはもう何もない。

討ち死にしないよう祈って見送るのみだ。

 

先年、和歌山の霊現寺さまにお参りにうかがった時、佐古住職様から田阪師をして

「この人はええ坊さんになれる。

長野の土地に縁がある。

それで荼吉尼天に縁がある、だけどな。それは天女型じゃない。それ、あの・・・飯縄権現さんいうのに縁があるな。」とおしゃったので、このたび彼の将来のため、古い飯縄さんを修理してもってもらうことにしました。

それが今日できてきた。

あと一年切った。精進するのは今を措いてない。

 

今日できてきました。

 

              

 

田阪の跡に入るかもしれないという候補者もいるにはいたが「ここに入ったら、恋愛も結婚もその間ダメですよね・・・」というので「ダメも何もないでしょう。修行に来たものにそんなひまはないよ!」といっておいた。

霊狐さんからは「そもそも修行の心のないものに声かけるお前が一番愚か者だ。時間の無駄だ。手が欲しいからと言ってそのようなことをしてはなるまいぞ。」と笑われた。

確かにやる気のない人に頼んだり尻を叩いてまで修行させるつもりは毛頭ない。

本気で修行する者にはいくらでもできることはする準備はあるがそうでない者は論外だ。

だが、残念ながら最近はそう言う人はまったく見なくなった。