新型肺炎で自粛中ですがなんか全然だるくてやる気ないという女性。
もう長いらしいのでお加持しますということ自動車ででてきて頂きました。
お加持というのは向かい合って祈祷する。
こちらは不動明王と加持してその三昧に入る。
この三昧に入るというのを座禅の滅侭定やヨーガのサマージみたいに呼吸が止まったり肉体的に変化が起きてと思っている人いますが密教のはそういうものじゃない。
意識の上で一体化するだけですからそういう生理的変化なんかおそらく微塵もない。
意識的につながる。
大変のようだがもともと仏と衆生とは一体なのでそんなに難しくない。
頓でもないことなんだと思うと難しくなる。
頓でもなく高い意識のレベルになるとかも全然ない。ただ。あ、つながってるというのはある。
それじゃ何も変わらないじゃないの。なあんだ・・・思い込みじゃないかと思うでしょう。
でも不思議はおきるんです。
例えばこのお加持で霊を呼ぶ、やってくるという共通了解のもとでは霊媒的にもなる。
今回はそういうのじゃないけどこの人のお母さんらしき人が表に出て来てる。
そんなの霊能なんかは私はないので普段は分らないけど加持のモードなんでわかる。
実はこの人の亡くなったおかあさんが心配してる。
それで一応お念仏とか唱えておなぐさめして帰す。
後で聞いたらもう子供は忙しいし、夫も親もいない。一人になってしまったので、それで最近は仏檀のお母さんの位牌に向かっていろいろ悩みを話すつもりで話しているという。
ここが問題です!
本人はそれで慰まるのだろうけど愚痴聞かされたお母さんは「大変だ。私はどうしたらいい?なにもできない!」で困っています。
実は彼女の抱える漠然とした不安はお母さんのその不安をそのまま受けとっている。
不安のピンポンしていたわけですね。
もともと後のこと心配してこちらのお母さんはなくなってています。死んだ後もしばらく家にいて心配する。霊ってそんなものです。
「ですからね。
あんまり悪いことばかり愚痴らず、嬉しいことやいいこともシェアしてください。
そうでないと本気で心配していますよ。
それじゃおちおち安心してあの世にいられないでしょ。お母さん
四六時中愚痴を言うのは措いて帰りにはお母さんのお菓子を買って帰ってお母さんと二人で食べてくださいね!」
と言ってお見送りしました。
帰りにはこの方も少し元気になられたように見えました。