金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

施餓鬼供養の功徳その89 善龍庵

 

位牌というのはもともと儒教のものだったのですが、仏教に取り入れられてご供養されるようになりました。

位牌の先端が丸くできるのは人間の頭を表してるそうです。足までついてますよね。故人様を象徴しているのです。

 

一方仏壇は仏様の世界、浄土を表す立体曼荼羅です。ですから真ん中にご本尊様をお祀りします。そこにお位牌を入れてお祀りするということは、この方はその仏の浄土にいらっしゃることを表しています。

 

【ここから頂いたメール】

 

先日は、祖父と曾祖父の施餓鬼供養を修していただき、ありがとうございました。
時々、仏壇の中に位牌が三つある夢を見ることがありました。
真ん中が先祖代々、両端が祖父と曾祖父ではないかと思います。


ご供養をした後は、夢に出てくることはなくなりました。
伯父の時も気になり施餓鬼をお願いしましたが、今回もご供養できてよかったです。

ありがとうございました。

 

◎お知らせ

施餓鬼供養関連

2月28日からの施餓鬼供養の申し込み締め切りは2月24日水曜日までです。

初めて申し込まれる方は下記リンクをご参照ください。


施餓鬼供養の申し込みについて - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

 

春季彼岸会関連

3月の春季彼岸会は17日から20日までの三日間宝篋印陀羅尼法を修行してご供養いたします。

申し込み締め切りは3月3日です。

詳細は下記リンクをご参照ください。

 

誤解です。

時々得度して仏道修行すれば問題解決するとか病気が治るとか言って、得度希望してくるけどお告げでもなきゃそういうのはありえない。

甚だしきは得度して修行したら結婚できると思っている人も。

あんた尼さんの修行して嫁に行くんですか?

そもそも何年かかると思うの?

わけわからない。

どうせするなら仏道修行じゃなく人間修養でしょ。

 「尼さん フリーイラスト」の画像検索結果

まず仏道修行は問題解決して身心を健康にして出発する。

そこでしょ。

まあ、もっとも多かれ少なかれ何らかの問題は誰にでもあるし、業というものを考える大事なきっかけではある。

であっても出世間の道に行こうとするのに世俗の問題解決は目的にはならないでしょう。 

 

それ誤解です。

 

霊感のお話は・・・

私は「霊感の話が嫌い」なのだと思われているというのを聞きました。

嫌いなのではない。ましてや否定などしません。

単なる話のタネとしては面白いからむしろ大好きですよ。

 

ただ、相談でそんなの聞かされてもどうもならん。

霊感って主観の世界だからコメントできないんです。

 

私に言わせれば、「これってどういうことなんでしょうか?」と聞かれ、

それを一々「それはね、こういうことなんだよ」という解釈を入れられる方が不思議でならないのだ。

それで相手も「わかりました。そーなんですねえ」とか言ってる。

自分の霊感にエライ先生のお墨付きが付くので嬉しいのか知れないが…正直いかがなものかと思う。

なんでも聞かれれば そういう解釈入れられる人は信用しない。

私に言わせれば他人の主観を自分の主観に変換しているだけ。

 

私は答えは一つしかない。「分りません。」

独覚道でどうぞ

かなりの勉強好きなマジメな人で「サンスクリットまなびたいがいいですか?」と言うので「ご自由に」と言っておいた。

次に「八宗網要の講義」を受けたいというので「どうぞご随意に」と言った。

そしたら、今度はナーガアルジュナの「中論」勉強したいという。どうぞ。どうぞ。

いいも悪いも指導にならない。

「どうぞ」と言うのその人の自由だからそういうだけだ。

 

中論勉強しようが、簿記学ぼうが、皿回しだろうが、カッポレ習おうが勝手だ。

 

 

でも大体ものにならない。

いろんな勉強しているが「筋がない」のでぐちゃぐちゃになっている。

だから「あなたはどうしたいの?」というと得度したいという。

なぜ?

「修行して阿羅漢になりたいんです。」とか言うので驚く。

え、それ大乗じゃないよ。うちじゃ無理。

この人女性なので上座部いっても生まれ変わって男にならないと無理。

女性の阿羅漢はない。

中論、八宗網要以前の常識だ。

 そこめざしてるのに「神道は男女差別的だ」とかいうのでまたビックリ。

それいうなら仏教の伝統はもっとだよ。

 

 学ぶのはおおいに結構なことだが、でも「何」を学ぶべきかは一切訊いてこない。

自分の裁量だけで決めて、やっていいかどうか、いいかどうかの許可だけ求めてくる。

 

何かを学ぶのには筋道がいる。

そのために師がいる。

自由にやりたい方は師はいらない。と言うよりあっても邪魔だ。

こちらもうるさいことは言いたくないのが本音だ。

その辺がわかっていない人に言っても嫌がられたり口論になるのが関の山だ。

 

見てるといろんなこと並行してやる人は必ず挫折しますね。

自分の中では繋がっているんだろうね。

そこは邪魔されたくないのでしょうから、意を汲んで何にも言わない。

どうでもいい。

勝手によそで勉強してきて「ここが違うのは判らん!なぜじゃあ~」と言う。

それが昂じてしまいに相手がブチ切れたので辞めて頂いた人もいる。

 

そういう人はどんなに熱心でも弟子には加えたいと思わない。師は必要ないもの。

過去にも毎回毎回来て難しい仏教の話をする。別に相談しに来るわけではない。

毎度、毎度「へえ、そうですかあ」みたいに聞き流していたら

「私はこれだけ仏教勉強しているんです。なのに先生は私に弟子になってほしいとか思わないのですか?」と聞いてきた人もいる。

はなはだ図々しい。

口を出されたくないのに「なぜそこを言ってくれないのですか」とか言う人もいる。

問題外だ。

勘違いしてます。

中身を教えるのは教師。

学びの在り方まで教えるのが師匠。

そうした手順なく「○○を勉強したいのでそれ教えろ」と言われて教えることなどありえない。

 オンデマンドの師匠はない。

自分で学び方を決めてる人には師匠はいらない。邪魔なだけだ。

私も人の邪魔にはなろうと思わないのでなにもいわず放って置く。

 

 独覚道でご自由にどうぞ。一切お邪魔致しませんので。

1月滅罪会の感想その33  善龍庵

 

日本の小釈迦 とまで言われた慈雲尊者は、子供の頃は仏教が嫌いであった。

しかし小僧に入って、初めて密教の修行した時に、その道場観(仏様のお姿といらっしゃる場所をイメージする)で不思議な感覚を体験してから仏教に帰依するようになったと伝えられてる。

 

ただしこういう体験は求めて得られるものでもなく自然に起きるものである。

そういう体験をしなくても仏様の功徳はあるので心配はない。信じて続けることが大切である。

 

慈雲尊者も、かなりの悪童だったようだが、それをきっかけに修行を続けて高僧になったのだ。

 

 

【ここから頂いたメール】

 


大森先生

改めまして先月の滅罪会、ありがとうございました。今回で3回目でしたが過去2回と比べて変化を感じましたのでメールさせていただきます。

 


今までは、過去を懺悔する時にとてもシンドいものがありました。心に重くのしかかり悲しく沈んでいくような感じになることがよくありました。

 

それが今回は滅罪会の機会を通じての仏様とのご縁で懺悔する機会を得たことに感謝することをより意識するようにしましたところ、今まで感じていた苦しさが和らいでいくのを感じることが出来ました。

 

また、それに共鳴するかのように真言を進めていくにつれて気持ちが軽く明るくなっていくのが実感出来ました。

 

これらの事を例えるなら、川の流れの中にあって流れを遮っている岩などの障害物が小さくなり、流れが以前よりスムーズに清々しいものになってきたイメージでしょうか。

 


とは言っても日によってはまだまだ重い日もありましたが、先生が仰っていた「御仏にお預けする」ということはこういうことなのかなと思いました。

 

他には、作法を進める中でよくゾクッとすることがあり、特に次第を頂いて開白から結願の間に強く感じました。

 

これまでも、時々、滅罪会等の中や日々の礼拝、寺社仏閣での参拝時に同じようにご神気に触れたように感じることがありましたが今回はより感じることが多くありました。

 

改めて、継続して御仏と向き合って行くことができることに感謝しています。

ありがとうございました。

 

お知らせ

春季彼岸会は3月17日から20日までの三日間宝篋印陀羅尼法を修行してご供養いたします。

供養の準備のため、申し込み締め切りは3月3日です。

申し込まれた方には3月15日を目処に自宅での供養法送ります。

詳細は下記リンクをご参照ください。

 


令和3年春季彼岸会のお知らせ - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

 


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ココアへお悔やみありがとうございます。

ココアが亡くなって皆様からお悔やみの言葉を頂いて居り恐縮です。

結構活発でイタズラだったので、おとなしい猫が好きな方にはニガ手な人もいたようですが、お寺に来る多くの人に愛されました。この写真は信者さんが撮影したものを送ってこられたものです。

私にも思いで深い一番身近な猫でしたのでとっても残念です。

いつもいる筈のものがもうどこにもいない!というこの感覚は心に隙間ができたような感じでおちつかないです。

母が亡くなって忌明けもこないうちに・・・・ひょっとしたらついていったのかな?

 

輪廻転生の旅路またいつか会おうニャ。みんなありがとうニャン。

 

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施餓鬼供養の功徳その88  善龍庵

 

この方は「イメージの中」と、書いてますがここはとても重要です。

 

実はイメージの中に亡くなられた方の存在というのはたくさんいるのです。

しかし、気が付いてないことが多いのです。供養はそこに意識を向けることになります。だから誰誰のために供養をするという意図は大切なのです。

 

不思議ですが、供養を続けていくうちに気になる亡くなられた方が浮かび上がってきます。そのため、気になる故人などは、どんな方であったとしても供養すると良いとお伝えしております。

 

【ここから頂いたメール】

 

大森義成先生

こんにちは。いつもお世話になっております。
ありがとうございます。東京都の○○です。

昨日、施餓鬼供養をしておりますと、
特に意識したわけではないのですが、有縁の霊と一緒にご真言をお唱えしている感じになりました。

真言をお唱えしていると、
(イメージの中の事ですが)

その人影の中に、母方の祖父母の姿が見えました。
あと就職難でうつ病になり自ら命を絶った友人の姿も見えました。

3人とも、お次第を見ながら熱心にご真言をお唱えしておりました。

父方の祖父母の姿はなぜか見えませんでした。

ただ一人で供養をしているわけでなく、亡くなった縁のある方々と
一緒に供養をしていたんだな、と感じました。

(まあ単なるイメージに過ぎないかもしれませんが)


あらためて施餓鬼供養は大変ありがたいなあと思いました。

 

お知らせ

 

2月28日からの施餓鬼供養の申し込み締め切りは、2月24日水曜日までです。

初めて申し込む方は下記リンクをご参照ください。

 


施餓鬼供養の申し込みについて - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵


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