しかも厳密には愛染明王は明妃と云う女性神格ですから女王様の三昧にいると考えた方がいいでしょう。
これはともに大日如来の化身ですから奴僕だとか王様とか言っても優劣はありません。
ようするにお芝居で王様役やったり、召使の役やったりと同じですから、必要に応じて観音さまのような慈悲の姿にも龍や夜叉のようなものにもなります
。どれも必要だからいろいろあるので優劣はないというのが本当です。
役割としてはそうですが本質的には関係ないです。いわば芝居の役割でありアクターに身分の上下が無いのと一緒です。
ここのところが判らないとなんでそんな低い仏様拝んでいるんですか。サイコ―のものを拝まなきゃダメでしょなんていわれて「いわれてみればそうだよね・・・・。」となります。
若いころの話ですが、密教ではないけど日蓮宗の七面天女拝んでいる人がいて別な日蓮宗信者の方から「七面天女なんて伝説からして身延山の裏山にいた蛇の化身じゃないですか。動物霊拝んでどうするの?」といわれてへこんだ。七面さんはやめたほうがいいのかなというお話を聞かされました。
まあ理屈を言うと曼荼羅と云うのは宇宙図でそこに全部あるのだからそういうのだろうけど、だったらその曼荼羅から何様を特化して拝んでも矛盾はないはずです。曼荼羅拝めと言いながら曼荼羅がなんだかわかっていない。
日蓮宗信者でないのによその信仰問題に口挟んでも仕方ないけど、コメント求められたので「聞けば貴方は七面様には今まで助けられてきたというのだからそんなのは迷わず無視すりゃいい。」と云っておきました。
たとえ蛇だろうが鬼だろうが助けてくれればそれが味方というものでしょう。私は正直そう思います。
仏教は本来煩悩を去るのが目的だったので恋愛応援の仏様はあんまり聞かないのだけど愛染さまは数少ない例外です。
でも人間が本当に欲しいのは私が心理カウンセリングのセミナーで習ったところでは「愛と親密感」だそうですからそうなるとこれは大事です。
ところが最近はズーット独身のままと云う悩みの人が多い。別に本人が独身主義ならそれでいいだろうと思うけどそうではないらしいのです。
この結婚ができないとか彼氏彼女がいないのでなんとか・・・とかいうのは実はなかなか難しい部類の御祈祷になります。
こういう祈願は密教では敬愛法と云う部類の御祈祷になるのですがこれが得意と云う行者さんは相当に御祈祷のできる方だと思います。
ちなみに金光明経を訳した曇無懺と云う中国のお坊さんはこういうおまじないが得意だったと言います。(因みにこの方は密教僧ではありません)
この手の問題は本人が原因だと思い込んでいる容姿とか学歴とか収入は本当のところあまり関係ないですね。
別に美人だから必ず引く手あまただと云うわけでもないし、孤独な高収入のハンサムボーイだって多いのです。
では何故難しいか。
結論的に申しますと淋しいとか孤独だとか言葉ではいうものの本当は拒絶しているからです。つまりは人間ひとりを丸々ドンと受け入れる余裕がその人にはないのです。そういうひとがつまらぬ人物とはいいません。事情は色々あるでしょう。忙しすぎるとか、やりたいことがあり過ぎという人もいます。
でも、誰かと結婚したり付き合ったりするとやっぱりいろいろ変えていかないといけないことが起きる。自分だけのペースでは進めません。
それが嫌だから無意識に避けている。
実はそういう人がいない方が楽なのです。
だから頭の中にいる理想の人は全部自分の注文を具現化した人物だけ。でも残念ながらそんな人はどこにもいません。
良縁の御祈祷してほしいと時々言われるのですが本人がこういう心のままでは山ほど拝んでも無駄です。
そこでまず愛染さまを拝んでもらいます。この愛染さまの拝み方は前にも書いた無願三昧です。
「なんとか結婚させて!」とか「どうか彼女が出てきますように」とか、まして「片思いのあの人と是非」などと必死に祈ってもまずダメです。
そういう要求は何もせずただ愛染さまの真言を唱えましょう。あえていうなら、ただこの問題の本当のところをどうなっているのかお教えください・・・という心で拝めばいいのです。押しつけがましく「どうするのか早く何とか云って下さい!」ではなく、自分が声なき声を聞こうという傾聴の心でないといけません。勿論最初は何も聞こえてきません。でもそのうち・・・何か大切なことに気付いたり、わかるかもしれません。
因みに愛染さまの真言はウンタキウンジャクウンシッチです。