金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

自衛隊にエール

最近は自衛隊という者がようやく表に出てこれるようになりました。昔はあってなきがごとき「影の軍団」でしたが、ようやく日本も少しマトモな国になったと言えましょう。
私の中学高校時代は「自衛隊みたいのがあるから戦争になるんだ。」
侵略戦争の準備だ。」とか「憲法違反だ。」と日教組の先生方から(日教組でない先生はいませんでした)から嫌というほど擦り込みがなされ、生徒会主催と云うオオウソで放課後は共産党のセンセイが来て輪をかけてお話がありました。勿論全員参加必須でした。
そんななかで記憶にあるのは教室である教師から自衛隊違憲性、あってはならないという授業中での話があった時、一人の生徒が自分が体験した災害の現場でいかに自衛隊が活躍したか、警察や消防などでは手におえない状況をなんともたやすく処理して多くの人が助かったという話をしました。よくは覚えていませんが、その後、教室はシーンとなり、その話はそこで終わりました。
もちろん私は自衛隊支持でしたが「武器があるから使いたくなるのよ」とまくし立てる女学生や「日本は攻められても戦っちゃいけないの」とか、甚だしくは家で親に注意されても「お前らはあくどい戦争をしたのに他人を責められるのか!」と言い放つものまでいました。
人としては幼い高校生は容易に擦り込めたのでしょう。まるで中国の文革のような有様でした。
こういう私と同じ世代の人たちがいまも各地で憲法九条を振りかざして同じようなことを言っているのでしょう。
真に洗脳は恐ろしいものです。
最近は自衛隊の演習も公開されて、さらに宣伝までされるようになって本当に良かったと思います。
私たちの世代に比べて若い世代は自衛隊と聞いても直ちに「違憲だ」などといわず公平に冷静にものを見ることができる人達も沢山がいて結構だと思います。
確かに自衛隊違憲です。間違いありません。普通に読めばそうなります。
だからこそ「自衛隊を無くする」のでなく「憲法九条」こそ葬り去られれねならないのです。
解釈に次ぐ解釈で今の状態では憲法ではあっても無くても同じことになります。憲法九条なんてとっくに機能していません。前世紀の遺物でしかないのです。
バカはそれを後生大事にしていれば戦争はないと思い込んでいます。
そんな「国内法」の紙切れ一枚に如何に「戦争放棄」が書いてあろうとなかろうといざとなれば戦争は止められません。
たとえば今、ISと戦うクルド人戦争放棄したらどうなりますか?大虐殺あるのみです。命を守るとはそういうことです。
一方が武装解除戦争放棄を宣言したらそれはすなわち「降伏」ということです。
戦争放棄」、「いかなる武力も持たない」は地球規模ではじめて実現する問題であって一国では無理なのです。
何故なら国際紛争は相手がいておきるものだからです。
憲法九条とは対外国的には「国民の生命と財産」をも放棄するということとなにも変わりません。
今こそ「戦争には海外派遣はしない。」「専守防衛」を明確にうたった新しい憲法が必要です。
我々の自衛隊アメリカ軍の予備軍ではないのです。
実は「憲法九条」と「日米安保」は両天秤です。
あきらかに矛盾しているのにこれをどちらもアメリカは日本につきつけました。
ここがミソです。
憲法九条があるから日本は戦えない、国土防衛もできない。だから安保というふうにできています。

だから憲法九条を護れば自衛隊は日本の為には戦えないのです。
自衛隊って一体どこの国のものなのでしょうね?
軍事同盟でも米軍基地など南北に各一か所もあれば沢山でしょう。
よその国の軍事基地がこんなにたくさんある建前は日本は「憲法九条」で戦争放棄した国だからでしょう。
そもそも災害救助のためだけなら戦車や戦闘機はいらない筈では?
憲法九条を支持しても安保を支持してもアメリカのシナリオ通りになるのです。少なくとも当初の思惑はそうだったと思います。
日本は事実上、政治の上ではアメリカの属国的存在です。
本当に肝心な所はおさえられています。
いわば朝鮮王朝とチャイナの皇帝の関係と同じです。
この呪縛を解くにはまず憲法九条にとどめを刺さないといけないでしょう。
私は日本の為に憲法九条がなくなる日を願ってやみません。
そして今の安保ではなくもっと真に対等な日米同盟をめざすべきなのです。
そして今、長い間「憲法九条」の影で、黒子だった自衛隊の皆さんにはおしみないエールを送るものです。