「神聖にして犯すべからず」
それは憲法のこと?
敗戦統治者のアメリカが80年前に作った杜撰な憲法金科玉条とありがたがっているのが私には不思議でしょうがない。
憲法など道具でしかないと思っている。
それ以上のものではない。
明日の世界を我々が生きていくことが大事なのだ。
そのためにはいくらでも変えるがいい。
アメリカは 6 回、フランスは 27 回、ドイツは 59 回、イタリアは 15 回、オーストラリアは 5 回、中国は 9 回、韓国 は 9 回 カナダは 1867 年 憲法法が 17 回、1982 年 憲法法が 2 回、の憲法改正を行っている。
特に憲法九条のわけわからない文章は即攻で変えて欲しい。
他国に攻められても抗わず黙って死ねとしか書いていない。
非人道の極みだ。憲法のために黙って死ぬ気などさらさらない。
だが憲法がどうあれ武力衝突が起きる時は起きるだろう。
その時に憲法がただの反故になる。
そのほうがまずいだろう。
現状だって大きく違っている。
四年のちに自衛隊解体などと共産党と組んだ立憲民主党の泉代表は口にしたが、政権政党になったら本当にそんなことする気なんだろうか?
狂気の沙汰だ。
憲法が日本を守ってきたなどと言うのは大ウソだ。
相手があって起きることだもの。
戦争放棄で無抵抗ならそんな攻めやすい国はない。
だがそうならなかった。なぜか?
実際は日本には世界有数の強力な軍備があるからだ。
ただ私は武力行動はあっても建前は「戦争はしない」でいいと思う。
あくまで紛争解決の概念で「宣戦布告しないこと」つまり明確に敵国を指定しないことはその後の国際關係の修復に役立つだろう。
イギリス、ニュージーランド、サウジアラビア、オマーン、イスラエル、リビア、サンマリノ、バチカンの8か国は成文化した憲法はない。
憲法は理念だ。もはや成文化などなくてもそんなのでもいいと思う。
一々読まないとわからないものなど理念にならぬ。