金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

続行者祈祷秘巻

20年ほどたって「行者祈祷秘巻」の続編を考えています。というより実はもう書き上げて今日、青山社に渡しました。後は図版なんかを書かないといけませんけど・・・・。
実は去年からの企画で頼まれていたんですがなかなか書く暇がなくて。
でもいつもやっていることを書くだけなので書き始めたら三日間で書き上げました。考えりゃ自分の使っている次第書を書き写せばいいだけだものね。
昔出して今は絶版の次第からの抜粋もあります。
そういうチョイスの方が時間かかった訳です。
書くのはなんにも考えることがいらないから一般本書くよりははるかに楽です。
色々な秘法も学んだけどやはり骨子になるのは、私の場合は師匠の伝えてくれた法ですね。まあ、面白い法もほかにもいくつかありますが。

春には講習も考えてくれています。場所は信貴山の千手院さんだと思うけど・・・。
こういうのは公開しちゃダメという根強い考えもある。
でも私も今年還暦が来ますし。(人生って案外短いものですね)
法というものはもともとが決してわたくしのものではない。厳密には私的財産じゃないんです。
「私の法」なんてのは基本的にない。まあ。自分なりの工夫をしたものは「私記」といいますけどね。
基本的に先人からの貴い預かりものです。残しておく、伝えておく、そういう責任があると思います。お墓に持って行ってもしょうがないですし。
絶対によそには公開しないと言って、結局なくなってしまったものも多いと思う。
伝えるべき人がいないので世の中から自分とともに消してしまう。
そういうのはドラマチックだけど本当に大事なものがわかっていないのでは・・・?(生意気な言いようでスミマセン)
でも、武術なんかでも結局そうやってなくなってしまった秘技は沢山あるよね。流派ごと消えちゃったのもあります。
ほかの道でも同じだと思います。
もちろん、何でも伝えりゃいいとは思いません。
実際教えて、後でつくずく後悔したような人間もいますからね。

でも、それを怖れるあまり法をなくしてしまう・・・・それは広く公開するよりよほどいけないことだと思うんです。
三昧耶戒の不慳吝法に違背する最たるものでしょう。
他の人が同じこと知っているのが厭なんだね。
自分だけが知っていると威張っていたい。
そういうのは秘伝技知っているけど使わないで滅ぼしてしまう人です。