金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

飯縄様の説く荒神信仰の話

今朝、布団の中で左肩に暖かいエネルギーが流れてくる。なんか黄色く輝いているイメージです。
「ああ、これは母方のエネルギーか?」と思いました。
私は今まで親のエネルギーとか先祖のエネルギーってあまりそういうのを感じたことなかったんですが…それで起きて何時もとおり朝の瞑想もどきを布団の上でしておりましたら、両肩の左には母方先祖、右肩には父方先祖のエネルギーが強烈に流れてくるのを感じる。
すると飯縄様から「わかったか?これが荒神というものだ。」といわれた。
今まで荒神は心識の最深部、第八識だと思っていましたが、そこは一種の情報であって流れ、活動体であるという明確な感覚までなかった。
以下は一括ファイルで頭の中に飯縄様が送ってきた内容です。
どういうことかというと言葉でなく一括してくる。それを解析すると言葉になる。
 
まあ、イメージとしては「リモートビューイング」みたいです。
テレパシーで線を解析して画像にする奴。
少々(ではないか)、気が変な奴のたわごとだと思って安心して聞いてください。自分でもそう思っていますから大丈夫です()
 
いつもいうように霊能者ではないのでこちらから知りたいことをきけるわけじゃないんです。通信が来た時にすかさず尋ねると答えてもらえることはあります。どちらかといとこっちが疑問に思っていることに対して即座には答えられる。通信内容と関係ないことは聞いても答えない。
 
「荒神経にもあるだろう。父母未生前の主とは荒神のこと。
それは即ち汝らの父母、先祖である。
お前は荒神経に何億という眷属がいるのは大げさだなと思っていただろうが、無数の人が生まれては死んでその先祖の数を思えば何億でも足るまいぞ。
無数の先祖の唯一人たりと欠ければお前はおらぬ。
無数の先祖を拝むことが荒神を拝むことと一つだ。
それを思えば今ここにあるはまことに稀有の極みであろうが。
ここをもって即ち「神」の恵みという。
但し、汝の今あるは同時に輪廻転生、無明煩悩の所作なるをもって「荒」とも申す。
「荒神」というのはすなわちこれがためである。
故にあるいは如来荒神の六臂金剛薩埵の妙体を示し、あるいは大忿怒の夜叉の体を示す。

 

即ち煩悩あってこそ人は生まれ、生みの子の八十続きまで栄えあるのだ。それがそのまま大日の働きであり、荒神のお姿そのものでもある。
故に荒神を俱生神といい、荒神の本地を煩悩即菩提の表示とし、以て愛染明王とするのはお前も知るところである。
故にこれを悟れば人の子も八葉の仏、悟らねば暴悪忿怒のままである。
これが荒神は煩悩即菩提であるという意味だ。
 
わかったか。
人を無明煩悩の身とばかり見るなかれ。人に無明煩悩あるはそのまま法身大日の大悲の方便なのだ。」
文章化してしまうとこんな感じですが、「ああ、そうか先祖様は荒神様なんだ!個人様はご先祖か・・・」と教えられた感じ。父母の赤白二諦の和合する胎内五位のはじめもそのまま荒神であるという意味がよくわかりました。
つまり先祖というものそのものというより、そうした集合無意識が荒神なんでしょうね。ザ・センゾです。
ありがたいことです。
これがわからぬと生命のありがたさもわからない。
逆に言えば今まで全然それが大事なこととわかっていなかった大罰当たりの自分がいます。
今、生きているのは無数の先祖の命をそのまま生きているのと同じなのですね。
それが荒神信仰。
良く生きること、それがそのまま最大の先祖供養ですね。飯縄様。
今生きていることへの感謝。
先ずその心なくしては、いかに拝んだとて先祖供養などありえないのですね。
皆さん
この記事感じるところがもしあれば
そっと手を合わせ両肩に父母二流の先祖のエネルギー感じてみてください。
これを感じることが特にこれから結婚したい人には良いというような意味合いのことを飯縄様は言っていました。
そういえばなかなか結婚できないってお悩みの人は全部ではないものの大概父母に強い不満ある人が多いみたいです。
結婚ってある意味、命の引継ぎですから。
まあ、事情はいろいろあるだろうけど感謝できないと引き継げないよね。
太古の昔から脈々と流れてきた遠き先祖のエネルギー。それが今ここで出会って存在しているのがあなたであり私なのです。
 
 合掌。