荒神には多くの秘密があります。
もっとも意味深い存在だと思っています。
荒神祭文に「天にあっては八大の摩醯首羅・・・」というのは荒神が「大自在天」すなわちマハーイシュバラである表示です。
聖天と同体とするのもここからでしょう。
このイシューヴァラつまり「自在」と言う言葉は伊舎那と言う感じにも当てられ、一説には飯縄明神の飯縄(イヅナ)もこの言葉の変形と言う話もあります。
そのような説は荒唐無稽ですが飯縄明神の御内証は飯縄祭文に見る限りでは三宝荒神とほとんど同じと言えます。
例えばこの明神を敬わねば屋の内に大荒神となってたちふさがり様々な不祥が起こるというのも古来から伝えられる荒神の性格そのままです。
摩醯首羅天は実際は聖天の父神であるシヴァですが自在天と言う言葉つながりで同体とされる。
だから私は三宝荒神はそのままシヴァ神だと思っています。
摩訶伽羅天や青面金剛も同様と思います。
日本では「魔王」とされる大自在天は大っぴらに信仰されずこうした尊格の中に埋もれているのだと思います。
八大の摩醯首羅の八大とは第八識のことかと思います。
荒神とは元本の無明。つまり我々の煩悩の神格化です。
なんとも恐ろしいことをするものですね。
もっとも忌むべき煩悩にこそ最大の秘密を解くカギがある。
さらに荒神の本地は愛染明王とされます。
つまりその中枢は愛欲だというのです。
生き物にとって愛欲こそは生存欲の原点となる欲望だからでしょう。
煩悩即菩提の秘密に荒神を知ることで近づける気がします。
「笑えば中台八葉の尊(胎蔵界の九仏)怒れば三宝荒神」と現れるといいます。
そしてそれはとりもなおさず我々のことそのものをいうのです。
行者が頭で知ってもしょうがないのでジックリ拝んでみようと思います。
荒神がもっとよく分かれば人間のこともきっとよくわかるはずです。