金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

清浄とは何か?

今日「聖天様」の本を読まれた方から質問がありました。
「聖天様は清潔第一だと聞きました。自分は病気で毎日の沐浴などできないので聖天信仰は駄目ですね?」という質問。
そんなことはありません。
身の清浄は心の清浄につながるから毎日の入浴や沐浴などは大事ですが、病気なのは別ですよね。インドでもすべての地域で皆が皆毎日沐浴できるわけじゃない。
こう言っては何ですが日本の日常に比べれば衛生面では大きな違いがあるアジアの諸国でもガネーシャは信仰されてきたわけですね。
そりゃ聖天様じゃなくガネーシャだろう?というけど、密教ガネーシャつまり聖天様だって原点的にはインドで信仰されたわけです。当然今はインド仏教は滅んでしまったけど、それはインドの環境や生活様式の中で拝まれてきたんです。
まして密教のあった7、8世紀くらいまでのインドは今よりもっと衛生観念は低いはず。
それって日本の聖天様の本にあるようなつめや髪の毛も不衛生だから切ってしまえとか、牛乳が入っているものは獣の乳だから使わないとか…私的には正直ナンセンスだと思っています。
一切無視です。密教やりながら牛乳はだめんなんていう奴は儀軌知らないトーシローだね。「柔糜を供える」なんていたるところに書いてにあるのにバカかと思う。
修法壇だって牛糞で作りましたからね。インドでは。
大体浴油の油自体もおそらくインドではギー(乳油)だったはずです。

だから聖天様を大事にするのはとてもいいことだけど、「自分は近づき難い不浄な者なんです」なんて思う必要は全くないんです。
大体、世の中にに不浄なものなんていないんですよね。本当の意味では。だって全部大日なんですから。

昔、テレビ見てたら清潔好きのお父さんがいて、子供が子猫飼ったら、その猫の毛全部バリカンで刈ってある。なんてことでしょう。
「大バカヤロー」ですね。
このオヤジの頭も脱毛すりゃいい。きっと猫の毛より頭油ベタベタで不浄かもよ。

こういう考えが進むと生き物は人間も含めて全部不浄!
つり革も触れない。公園の蛇口もひねれない。
人が触れば汚いと思うんですね。
「病気になるからだ」というけど・・・それ、もうすでに病気です。
ウチくる親子でも、「動物見せて」と言いながら子供に「あ、猫ちゃんは触っちゃだめよ。ばっちいからね。病気うつるんだから」なんて親いるけど「そう、そう、猫が病気するといけないから触らないでね。」といってやります。
ざまあみやがれ。

大体「清浄」というのは「おしっこ」も「うんち」もちゃんと出て、うごけば「汗」も出る。涙も出れば、涎もである。。
それが人体の清浄だと思いますよ。
ご相談の方は汗が出ても毎日お風呂に入れないので聖天様は無理ですねと言っていたけど、その汗が出ること。
それこそが清浄ということ。
それ以外の無生物のマシーンみたいな存在は清浄とは言わない。
機械や道具に清浄も不浄もない。
人間で汗もうんちもおしっこも出ないのは「死体」です。
でも、死体は清浄じゃないですよね。
一休禅師はお地蔵さんに開眼供養と称して「おしっこ」掛けました。
施主はカンカンだけどその後、キチンと地蔵様の霊験があったそうです。
こういう達人から見れば清浄も不浄もないんだね。