金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

苦労が身になる人 ならない人

苦労が身になる人もいればならない人もいる。辛かった。しんどかっただけで何も学ばない人。
でも散々つらい思いもしたから本人は身になっているとか、修行したと思い込んでいる。
なっちゃいません。
「私だって大変だったんです。」でいいたいことはおわりかい?。
「だから何?」
大変だったことなんて何の勲章にもならないよ。
大体自分のことしか言ってないじゃない?
あの時ああで有難かったとか世話になったとかそういう話が全然ない。
本当の意味で苦労が身になるのは人の気持ちがわかるようになるということじゃありませんか?
表向きはそういう自分、自分というだけの方にも「ああ、それは大変でしたねえ」とは言うけど…
そこから何を得たかだけが、それだけが、それこそが大事なんですね。
大変な思いしたってそれが無きゃ何もないね。
逆に酷い奴は他人も自分と同じようなしんどい思いしないと我慢できないとか思う奴もいる。
体育会のいじめみたいの。
こんなの問題外です。クズやし。
修行が身にならない人がどんなにすごい修行したって駄目だね。
ある大変な修行した坊さんが妻がありながらほかの女性と付き合った。その女性に既婚者とばれて彼女は別れようとしたら、今度は未練が高じてあられもない彼女の写真を公表して嫌がらせに出た。
この人聞けば軟弱で怠惰な私なんかは到底できない結構な行の経歴の人でした。
で、終いに自然災害で死んだそうです。
気の毒さよりもあえて「テンバツ」といいたくなるね。

今日、ある人が自分が一番年下だからと言って、何千円ものタクシー代払った話聞きました。「先輩にお世話になるんだから、それは当たり前です」ということらしい。
彼はいつもそうしているらしい。それが彼の世界の常識なんだというのですけど…これ、なかなかできないでしょう。
お金のない若い人なのにね。
そういう人もいれば、いい年しておりあれば先輩や師匠にたかるだけ、甘えるだけ、わがまま言うだけ、世話になるだけの人間もいる。
口を開けば「…先生、お願いがあるんですけど…」しか言わない人間。
習いたいことやお願いがあるときだけ参上する人。
それで「すみません。ありがとうございます。」でおしまい。決まり文句。定型文だね。
時候の挨拶とおんなじ。「おや、またかい。」って感じ。
本当に有り難いなんて思っているのかどうか・・・どうでもいいけどね。

別にそういう人はそういう人なのだと思っているから痛くも痒くもないけど・・・でもこういう人物には何も期待はできないわな。
人だってついてきっこないわな。
自分じゃ一生懸命のつもりなのでしょうけど。
頭んなかにゃ自分しかない人です・
人物におのずとは差ができるのは当然です。
実際には扱いだって差つけなきゃ悪平等だね。
そう思う。