金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

日常の中の死と再生


今日はゲシュタルト療法の大御所、百武先生の講義で増上寺へ。
そのワークのなかである出席者の方のワーク。
その方は暖かい洞窟の奥の穴の中で一人で静かにいたいんだということでしたが・・・その恰好は本当に胎児みたいだなあ・・・と思った。
最期にクライエントは眼が開き、大きく呼吸をし戻ってくる。・・・これって再生だよね!
そこにヒプノのような指示的な誘導はこれと言って何もないのです。
修験道の中で大事にされる「死と再生」の儀礼と同質のことが現実的に、そしてクライエント自らによって目の前に展開している。

山は母体、そこに籠って修験者は再び生まれてくる。
民俗学ではそれが山における宗教儀礼に秘められている一つの意味だといわれています。
私たちは本当はもっと「死と再生」が常に、もっと身近に必要なのかも…そうでないと私たちは過ち多き過去をリセットして前に進めないのかもしれませんね。
死と再生。
本当は日々そうなのかも知れない。
だとすれば、このゲシュタルト心理学もその有力な一手段になりうるのかも。