金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

「憶える人は書かないよ」


そんなことがあったのちにN先生は黄老師についてようやく学ぶことが許されましたが …表演などを見せたら基本は一回しかやらない。

それで「先生ちょっと待っていてください。」
「なんですか?Nさん。」
「ちょっと紙と鉛筆出しますから。」
「貴方それ、なにするのですか?」
「書いて憶えるのです。」
というと黄老師に即座に「憶える人は書かないよ。」
「?!」
「憶える気がないから書くのだ。誰のためにやっているんだ。あなたに憶える気がないなら私やめるよ。」といわれたそうです。

録音もビデオも今みたいにスマホで簡単にというわけにいかない時代の話です。
黄先生は「二度もやったのに」と言って三度目はありませんでした。
N先生はこのために記憶力抜群でした。
よく「アンタが去年言ったことを憶えているか?もう一回俺が言ってやろうか。」と言って口ぶりからして正確に復唱したものです。

まずいことを言ってしまって、「いいえ、私はそんなこと言っていません。」とごまかしても正確に再現されるのでグウの音も出ない。
そして「おい、言った奴は憶えてなくても聞いた方は憶えているものだ。そいつをよく頭に入れておけ。」とよく言われました。

それで先生は嘘を言う人間をとても嫌いました。
嘘を言う人間は破門でした。
 
お酒が好きな先生で夜遅く皆で酒を飲み、酔いが回ると秘伝を語る。
酔ったから語ってしまうのではなく、そうしてどれだけ真剣に聞くやつがいるのか試されていたのかもしれない。
後日再度聞いても「フン、聞いてなかったなら、それはないのと同じ」と言われて教えませんでした。

このことは今も私の中に生きています。
白戸師匠も伝授において「何度も言わせるものではない」というのは全く同じでした。

私はそういう貴重なことはこのN先生のお陰で身に着けることができた。
学校教育では知育は教えてもらったけど、ほかに恩師というほど大事なことを教えてくれた先生、思い出に残る先生は学校には誰もいない。

私の少年時代は師も友もすべて外にありました。
学校はまさに尾崎豊さんの歌ではないけど学校という枠組みの「支配からの卒業」を待って漫然と通っていたのみでした。
 
だから同窓会など行ったことはありません。