金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

光の玉、「愛」を語る


今朝がた、半分起きて意識がある状態。
光の玉が訪ねてきました。
これは狐さんたちや飯縄様とは全く違う存在だな~。
と思った。
いわゆるバシャールだとかいうようなスピリチュアル系の霊体なのか?

こんなのであったことない。
言ってみれば丸くて卵色に光っている。月輪観の月輪みたいのですね。
まあ、私頭おかしいのでいろんなの感じます。自分でも一種の妄想だと思う。

最近今までになかったいろんな霊系の人が出てきて仏教や神道でなく別次元からもいろんなもの呼びこんでいる状況だからね。何が来てもおかしくないのだけど。

それが「愛」について語ってきた。
あんまり語ったことないテーマですが。
私が「仏教の慈悲とキリスト教における愛」について話して「キリスト教の愛」は神の恩寵であっていわゆる世間の愛とごっちゃにしては駄目なのでは?というと光の玉はそれには答えず、「恐れがないことが愛だ。」という。
じゃあ仏教でいえばそれは「施無畏」ということかな。
光の玉は「恐れがあっては愛ではない」という。
まあ。一理あるわな。

たとえば愛の告白には恐れがあるけど…それは相手に対する愛ではないものね。
自分が傷つかないかな?という心配でしょう。
だとすると光の玉が言う愛は・・・こういうこと?
眞實の愛は「ゼプルス」(全体)とひとつになっている理解に起因し、したがってそこには彼我の枠が外れており、結果、愛には恐れがないということを言いたいのか?
ようわからんが、まあ光の玉のいうことは一応そんな風に理解しました。

こうした会話は長々しているようですが、全部がほぼ一瞬というような短い時間で終わります。あっちとこっちは時間の流れが少し違う?
そんな説明じゃわかんないね。だってわたしはこっちにいるんだから。
とにかくまあ。そういう一種の妄想です。

最後に光の玉にあなたは誰かと聞いたが答えないで去った。
飯縄様が後から「あれ、明星天子だ」と教えてくれた。
そういえば他天体的な方でしたね。