真っ赤な血が滴るような夕焼けの庭に一人乗りの飛行機、ゼロ戦(表現が古いですね)のような大きさの大カラスが舞い降りる夢。
足が三本。夢の中で「あ、ヤタガラス」と思わず叫んだ。
それから今年になって急にヤタガラスを作れと声なき声で言われました。
とりあえず作成依頼はしましたがでももうどこに置いたらいいのか?祭壇はいっぱい。
そうしたら完成間近になって「お前のところでなく蒼龍院に行く」という。
なんと!?
ヤタガラスと言えば熊野信仰。20代の末頃私はこのヤタガラスの夢を見てから修験道の修行で熊野三山に行き。二十歳前後に諏訪の明神様の夢をみてからいただいていた霊的な特異な感覚をすべて封印されてしまった!少なくとも当時のわたしはそう感じました。
特異感覚は消失した。
まあ、ようやく、まともになったんだから喜ぶべきかも(笑)
それをおそるおそる話したら「今のあんたの修行にそんな霊感なんかいらないから権現様がとりあげたんだね。」と師匠から言われた。
その時になんとなく、ああ、あの夢で見たヤタガラスがそうしたのだな。
ヤタガラスはとても強い力を持つのだ。そう思った。
とにかく今は熊野権現様に随う以外ない。
爾来、熊野権現が諏訪明神にならんで私の神祇信仰の中心となった。
私のもとに飯縄様が出現されるのは後輩の霊能少年のA君を通してですからこれよりずっと後のことです。
もしそう考えてみたら、そうした私の修行も逆にずうっとヤタガラス様の導きを頂いていたのだなと思います。勿論これもそう思うだけですが・・・
その時に師匠に言われたのが「あなたの背後にいるものは33年後にもどってくる。あんたと同じくその間は修行するんだわ。」ということ。
それにしても、こんな話の経緯は荒唐無稽でミョウチキリンな話なので第三者にはにわかには理解しがたい。当たり前ですね。普通の人に言えば「ああ、この人頭おかしいんだ」と思われます。
話がややこしくなるので、それはそのまま一応伏せて「ヤタガラスを祀らないか?」という話を10月13日の三井寺の灌頂に行くバスの中で蒼龍院さんに話した。
「ヤタガラス!?ですか」
当然何の事かと面食らった様子でしたが、考えてみればヤタガラスは摩利支天の化身であり「三昧耶形」にもなっているのです。
蒼龍院の本尊は摩利支天。
縁がないわけない。
まして来年は亥年のご縁年。
さて、かくしてヤタガラス像は完成しました。
蒼龍院ではこのご遷座した御烏様で本年の星祭を祈ろうと考えているようです。
ヤタガラスは太陽の精ですから原理としては諸星の光を圧倒してしまう。
これは日輪にまします愛染明王が星を支配するのと同じ理です。
なにせヤタガラスは神武東征ばかりか、羽黒の能除太子、わが宗祖智証大師もいざなわれた導きの神。修験道にも縁の極めて濃い神様と言えます。
きっと信仰される方を同じく人生の迷路から目的にへと導く「導きの神」となられるでしょう。
じきに蒼龍院さんで御烏様の星祭の御祈祷を発表するでしょう。
そうしたらまたお知らせしますね。