金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

心理療法の闇は今も

今日は「ある少年の告白」という変わった映画を見ました。
ゲイの少年が矯正施設に入れられる話。
アメリカでは多くの州でいまでもそのようなものがあるらしい。
基督教の教理を背景にした心理療法モドキが展開され、エンプティチェアも登場するが、答えは設定されていて意味をなさない。
たとえば男子同性愛の根底には父への憎しみあがるという前提のもと「父を憎んでいる」ことの告白がエンプティチェアではしつこくしつこく要求される。
あるよね。どこまでも心的ブロックがあるんだと言う思い込みでセラピージプシーしてる人。それ自体が病的。ここはそういう前提の思い込みを共有しないといけない世界。

施設での違反行動の少年を悪魔の側に立つものとして皆で聖書で打ち据えるという「五体加持」さながらの場面も出てきて実に興味深い映画でした。
さらにはうまく矯正されている演技をして切り抜けようとするクライエントが存在するのはどこでもいっしょ。(笑)

矯正施設の側にしてみれば心理学という科学とキリスト教という宗教の素晴らしい融合なのだろうが、ほぼ一つの巨大宗教に支配されていない日本はこの点幸いだと思う。

然しながら、我が国においても宗教はともかくこのような心理学の前提を絶対視して押し付ける思い込みが今でも横行していないと誰がいい切れようか
特に民間の心理療法家にはぜひ見ていただきたい映画です。
心理学の闇は常に今もそこにあると考えることも必要なのだと思います。
心理療法家であればこそ、なおさらにそうでしょう。
他のあらゆる科学同様にそう考えたい。

極めつけはこの矯正施設の代表者こそ○○だったという落ちです。
実話だそうです。