きのう、聖天様の信者という人がたまに来るが…そういう人の多くはどうも気に入らないというはなしを弟子としていました。
「下品というか貪りが過ぎる。」
「聖天様はいいけど・・・どうもその信者は頂けない人が多い。」と言っていました。.
あんまり破廉恥でひどいので面と向かって私は聖天信者はキライなんで!とかとまでいいはなったこともあるらしい。
でも実を言いますとこれは私の師匠もよく言っていたことなんです。
「不動尊の信者に比べてどうも・・・心卑しい人が多いなあ。」と言っていた。
だから最初聖天様の行者になるのもとても嫌だなあだと思っていたそうです。
もともと石鎚山の不動行者でしたのでね。
それでお不動さんの護摩堂を立てて先に滅罪生善を祈りたかったようです。
聖天さんの信仰には抱き合わせで滅罪生善がとても大事なんですね。師匠は最後まで不動信仰を捨てなかった。
55歳で住職になってから15年間念願の護摩を焚き続けました。
一般の方でもお施餓鬼のようなものをしたり、現実に福祉的な施しをしたりするほかに、日常でも自分に権利があるのだからと言って貪りすぎない心は大事です。
よき聖天信者は必ず慈悲を知り、そして程を知る人です。
それがないと見た目は人でも人中の餓鬼みたいになってはお終いです
聖天信者の面汚しとなっては聖天さままで悪く言われて本当に申し訳ないことと思います。
そうならないための一助には師匠のように不動尊の信仰をすることは大変いいことかもしれません。
でもそれは祈願ではなく、滅罪生善のためにこそ是非拝みたいものです。
お不動様で業をきれいにして、聖天様にお参り。それ、いいですね。