「先に道を得るものは誓って相度脱せんことを。」
施餓鬼の一文。
救われた餓鬼は誓ってほかの餓鬼が救われる手伝いをせよということです。
こういう正の連鎖ができる。
故に施餓鬼の功徳は大きい。
逆に怨念は負の連鎖。行きつく先は悪魔となる。
だから密教では調伏は必ず後始末の修法がある。
倒したままじゃダメなんです。引き起こしておく。
悪魔は相手がだれであっても構わないのが悪魔です。
もうだれがどうというのはない。
自分が取り込んだもの以外は全部敵。
餓鬼はそういうすれすれにいる。
ここにひらきなおった怒りが加われば魔になりやい。
悪魔には根底に怒りがある。
そこをかえらえれば魔も得脱する。
難しいことですが・・・
悪魔も100パーセント悪の塊ではない。天台の教えでは仏にも悪性ありという。
仏は悪の心が理解できる。
この悪があるからこそ如来は悪魔も得脱できる。
逆に悪魔の側から言えば同じことで、悪魔にも仏性があるので解脱が可能なんですね。