お施餓鬼したら喜んだ餓鬼たちが助けてくれるんですか?と聞かれた。
おそらく、それはほとんど期待できません。少なくともすぐには無理。
大体自分のことしか考えない方々だから餓鬼になっているんですから。
まあ、長いスタンスには霊的に成長したものがあの時。得脱の機会をくれた 鬼界を離れられたのはあなたのおかげと恩返ししてくれることも考えられますが、普通はそうではない。
そんな御奇特な餓鬼などいない。そんな人は餓鬼道には落ちない。
ただ救われたら「道を得るものは誓って相度脱せんことを」と言って行うので、餓鬼でも信心まで得るとこにいけばそうなるのかもしれない。
これはこの世も同じ、Aさんが困ったとき助けても、そのAさんが今度は自分の困窮を救ってくれるとは限りません。
いくら世話になっても世話になったと思わない人もたくさんいる。
また、そう言う貸せる力がまるきりない方もいる。
それが世の中でしょう。
あの世も同じだ。
有り体に言うと人は基本的に世話になったと思うのが嫌いな動物ですから。
そんな期待するだけ無駄なことです。
でもガッカリしなくてもいいんです。
功徳を積んで置いたらAさんは助けてくれなくとも思わぬ方が助けてくれる。Bさんかもしれない。
Ⅽさんかもしれない。
カルマは必ず帰ってきますから。
そんなものです。アイツ助けてやったのになどというだけ無駄です。
こういう言い方してると人に期待をしないぶん、どうしても冷ややかな人間になりがちだけど、まあそれは私が未熟な人間だからだと思う。
まあ、凡夫の私が腹を立てないにはそんなものですね。
人ではなく自分がどうあるかです。人は人ですからね。他人様のこと言っても始まらない。世話したことも忘れているのが本当でしょう。
お施餓鬼も同じ。必ず善行の報いはある。
でも大事なこと。
お施餓鬼したんだからご利益はまだか?などと言って首を長くして待つだけ無駄なことです。
善悪ともに機は熟さなければカルマは発動しないから。