浴油供4座・ちょうど中日です。
今朝、壇に上がろうとしたら霊狐さんから
「一つ一つ欲しいものをかなえて手に入れていく。それが信心の目的ではない。
信心は神仏と共に生きる。神道で言うなら惟神・密教なら常住瑜伽ということだ。
欲願をかなえる手立てで信心をしているだけのものは果物の皮を嘗めて、果肉を食べぬものに等しいぞ。終生信心したとて何も変わらぬこと。同じことだ。さみしいことだ。」
といわれた。
こういうことを言われるのは自分の祈願をする毎日で、どこかにそうした疑問があったんだろうな・・・と思います。それに感応して答えてくださった感じですね。