ドイツでヘッセン州財務省が経済状態に絶望して自殺した。
気の毒なことだ。
この人が悪いのではないのになぜ死なないといけないんだろう。
人間には出来ることとできないことがある。
世間はとかく何でも行政の担当者に責任を問うが、何が何でも責任があるからというのは一種のパワーハラスメントだ。
出来ることとできないことがあるのだ。
自殺した人の頭のなかには「一体、どうしてくれるのだ!」という声が鳴り響いているのだろう。
それは皆そうは言うだろうよ。
「どうもなりません。」という答えはあってはならない?
そうは言えなくても「何とか考え中」程度でいいのでは。
人にはできないこととできることがある。
ギリギリの状況ではそういう鉄面皮は大事だと思う。
私は自殺した政治家というのは、まずもって政治家の資質はなかったと思う。
政治家がうろたえては市民はどうなる。
どんと構えて欲しい。理解者だっているはずだもの。
文句言っている奴だっておんなじだ。
なんでもできるわけじゃないのは。
どんな職業でも人間だ。奉仕ロボットじゃない。
どうにもならにないことだって世の中にはある。