真子さまと小室さん、いよいよ結婚本決まりとなりにわかに祝福ムード。
いままでの悪評も急速に影を潜めつつある。
勝てば官軍だ。
それを知っている政治家は多少の失敗があったり、不祥事がばれても頑として職から退かない。
狡い。醜い。民間がそう思うのは無理もないのだろうが政治の常道だと思う。
事の大きさにもよるが非難に堪えきれずさっさと辞めちゃう人は二流だといっていい。
言って置くがこれは政治家の資質の話で善悪の話ではない。
そういうのがよい政治家とは言わないが政治家の資質だとは思う。
北海道に地盤を持つK氏などは牢屋に入っても面会の人が後を絶たなかったときく。
それらの皆さんのほとんどが陳情に来るのでK氏を慰めに来るわけではない。
実にしぶとく鉄面皮だが、それこそが政治家らしい政治家の顔。これぞ政治家というものだ。
小室さんもそういう意味では粘りは一流だ。
悪口雑言の弾丸霰もなんのその、ここまで来たら頑としておのれを通す。
今もってご成婚は喜ばしいとは思わないが、一面このしぶとさに敬服しないでもない。
マスコミも昨日までぼろくそに小室さんを言っていた人々は口をつぐみ。時を追ってご成婚おめでとう一色になるだろう。
この間まで小室氏を「胡散臭い怪しいやつ」と言っていたマスコミが一転して「愛を貫いた真実の人」だの、ついに触れること叶わぬ禁裏の錦の御簾を巻き上げた人とまで賞賛するのも想像に難くない。
たとえば来年の現代ひな人形には小室さん真子さま雛が出るだろう。
はやければ羽子板市の羽子板になるかも。
コロナで落ち込んだ世の中、少しでも明るい材料にしたい気持ちも手伝うに違いあるまい。小室ブームはたぶん来る。
世の中とはすべてそうしたもの 人の心もまたそうしたものだ。
潮の流れが変われば容易になびく。
風の前の草にさえ等しいものだ。マスコミはその最たるものだ。
世の中には「何が正しいか」は必ずしもそこにあると限らない。
「何が正しいと思いたいか」という意思があるのみだ。
例えば敗戦で痛い目にあって二度と戦わないことこそが正しいと思いたければ軍備撤廃、自衛隊は違憲であると騒ぎ、
はたまた最近の様に他国侵逼の恐れがあればそういう世の中からにわかに国防論、軍備徹底論も起こる。まるで季節風の様に。
万事そのようなものだ。
それを思えば自らの信念でしたことはたとえ世の中の多くが是と言おうが非と言おうが大して意に介することではあるまい。
まさに褒貶は人にありだ。
流されずに自己の信念を見据えたい。