天台のご祈祷の原理は一念三千であると思う。
我々の一念が宇宙の隅々まで広がっていく。祈りも同じ。
理の一念三千、事の一念三千といはいう考えもあるようだが、本来的には一念三千に理も事も一如で別はない。
日蓮宗で唱題行を「事の一念三千」の修行とする考えがあると聞いたが、もちろんそれ自体は大変結構なご修行である。
だが題目でも、念仏でも、さらに善念、悪念によらず一念三千の理は同じなのだ。
だから念(おもい)は大事にしないといけない。
常に貪瞋痴の三毒を起していれば宇宙にごみをまき散らすのと同じだ。
事の一念三千ではないが、私は一念三千を形にして表現すれば如来荒神だと思っている。
だから荒神は大事にしている。
どこ御祈祷にも荒神呪100辺を加えておくのを私の流儀としている。