金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

理密としての理趣分

ある弟子から女性行者は養成する気がないのですか?と聞かれましたが・・・

別にそういうことはないが・・・あえては勧めません。

理由は修行がすすまない人が多い。

挫折や放棄する(まことにもったいないことです)なら初めからやらない方がいいからです。私も仏に顔向けできない。

経験上うちにくる女性の場合はどういう訳か最初は意気込みが素晴らしい。

でも残念なのは続かないこと。

なんとしても修行したいと押し切るように得度するのですが竜頭蛇尾に終わる人が多いので。

やはり多くの方は本人が思っていたよりはるかに大変なのだと思う。

ほとんど途中で止まってしまう。

最期までする人は貴重です。

だから男女ともに三千回の礼拝と准胝独部法満行しない人は得度しない。

 

今は密教は尼僧が泊まれる施設と寝起きを共にして監督する人がいないということで密教はおことわりしています。

昔は母が面倒を見て護摩までしましたが。

 

 

代わりに本気でやる気のある人に限って理趣分加行をして頂く。千座です。

これも甘くない。実際にやると気が遠く成りますよ。100座はともかく1000座は簡単じゃない。これで錬成するのだからこの数は当たり前です。剣術で言えば素振り稽古です。

 

理趣分、正確には第十般若理趣分は大般若経600巻の白眉。十六会の第十番目です。

訓読すればわかりますがほとんど密教思想です。

天台で言う理密教にあたる。

理密教とは真言、印、観想を具備していない純大乗経典を言う天台の用語ですが、

真言は出てまいりますし、観想はこの経典の意味内容がすべからくそれです。

ですからまず訓読(和文読み)するのするのはそれに親しんでもらうため。

真言には印相としては普印(金剛合掌)を用います。

まあ、読む密教と言っていいでしょう。

 

でも私の師匠は祈祷の上では理趣分は護摩を焚くくらいの値打ちがあると珍重していました。やるならマジメにやっていただきたいものです。