真言宗で唱える理趣経は大日如来が欲界頂の他化自在天において、八十億の菩薩に向かって説法をした「金剛薩埵のさとりの境地を説くお経」です。
「私どもは若い時に理趣経、理趣経と言うけれども高野山でお大師さんは所依の経典は大日経と金剛頂経と言われているのに、大日経もあんまり読まんし金剛頂経も読まんのはどういう理由であろうというので栂尾(祥雲)先生に尋ねたことがあります。その時に理趣経を毎日読んでいる。金剛頂経を毎日読んでいる。理趣経は金剛頂経の第六会のお経である。ということでした。理趣経はそういうことです」
というお話が書いてありました。
密教のお経は儀軌と言って、仏様の拝み方を書いてあるテキストです。実習方法の指南書です。
だから法事の時や朝夕のお勤めに読経するようなものではありません。
そういう中でも、理趣経は読経することによって功徳があることが説かれています。
ただし、密教のお経であるので印と真言と観想が具わっています。
これを結誦しながら読経します。
いわゆる三密行により三昧に入って読経をするのです。これを理趣三昧といいます。
昔仏像に向かってお経を唱えるのは釈迦に説法だと言った人がいましたが、知らないということは罪であるなと思いました。
密教で読経するのは、大日如来の説法の会座をその場に現ずることなのです。
ですから理趣経を読経すると加持感応ということが起こるわけです。弘法大師は妙偈加持と言われています。
真言宗では葬儀や法事、お盆やお彼岸の行事などでは必ず理趣経を唱えます。それは亡くなった人がそのまま大日如来の説法の会座に連なることなのです。