今日面白い話を聞いた。
ある行者さんがいる。
その人は「うちあたりに来る人には先生のところに来たら、即お前は帰れって言われるような人もいまして・・・」という。
例えば、ある人は自分を捨てた恋人を呪殺してくれという。
するとその行者はさんは「いいでしょう。でも人を呪わば穴二つで、あなたもどうせ地獄行くんですからね。先に懺悔滅罪の写経をしてから呪いましょう。」というそうです。
そういうわけで無理な祈願すれば先に100巻お経を書写させる。
それで本気なら相手は写経しだすのだそうです。
でも途中で飽きてきていい加減に書写してくる。
乱れている。
そもそも100巻の間、ずーっと恨みを持続させるのは大変だ。
腹を立てるのは結構大変なエネルギーを消耗します。心身ともに疲弊する。
たまに思いだして「あのヤローッ!」と腹立てるくらいなら楽ですが・・・(笑)
100巻書いても字が粗雑、いいかげんだと「書き直し!」を命じる。
またコツコツ書く。
そうこうするうちに恨みはどこへやら・・・
おおかた「写経は終わりましたが・・・もう、恨みは捨てました。もういいです。」となるらしい。
これは写経の功徳ももちろんあるんだと思います。
かなり突飛ですがこれも大日経でいう「方便を以て至極となす」好例であろうかと思います。
でもまあ、お寺だと「わかりました。呪いましょう。」とはなかなか言えない。(笑)