米連邦最高裁は24日、1973年に女性が人工妊娠中絶を選ぶ憲法上の権利を認めた歴史的判例の「ロー対ウェイド判決」を49年ぶりに覆し、州による中絶の禁止や制限を容認する判断を下した。中絶容認派やバイデン政権が判決に強く反発するのは必至で、今年11月の上下両院選や州知事選などの中間選挙でも大きな論点になる。
この判決を支持する。
アメリカって州の法律が重いんですね。
でもこういう州があってもいいと思う。少なくとも13州でゼロとうよりはずっと良い。
やむを得ぬ中絶もあるだろうから勿論そのすべてを否定できない。
そういう権利も全くないとは言わない。
だがその前に胎児も人間というのも厳然たる事実だ。
おなかにできたただのデキモノではない。
避妊もできるのに妊娠してしまえば邪魔なら殺せばいいは納得できない。
命にもっと慎重であるべきだ。
法律は許しても殺人だから罪業は残る。
この罪は誰が罰するのでもない。すべての罪はそうしたもの。
ほんとうは母親本人の魂(阿頼耶識)が裁くのだ。
「そんなのなんでもない」と言う人はもう既にほかも多くのことで自分を裁いている状態に違いない。心識から言えば「いまさら」付きのなんでもないになる。
勿論、中絶手術をする母体ほどダイレクトでないが父親だって同様だ。
だから、そう考えればうわっつらの人間の罪の意識なんて所詮思い込みに近いものですらある。
ここに厳然たる命の差別がある。
凶悪殺人犯であっても死刑はダメだと言う一方で、罪のない赤ちゃんを殺すことは「女性の権利」とか言って堂々養護する文化人の先生なんかいくらでもいる。
私に言わせれば野蛮人だ。
それで「人間の命くらいと尊い物はない」とシャアシャアという。
ホントにそうか?
だったら赤ちゃんの虐待死はどうよ?腹から出たら殺せば殺人で。腹のうちにいるうちならば殺す権利がある?
昔。水子供養が盛んだったころ。「中絶三度目なのだけど供養すれば大丈夫ですよね?」と聞かれた。
逆に「何がどう大丈夫なのですか?」とうかがいたいところだ。