亡き野澤大僧正から毘沙門天供を教えられた時の話。
吉祥天の種字(梵字で表現した文字)はシュリ―。吉祥という意味。
だがさらに奥深く意味を問うと「離塵不可得」の義という。
「これ大事ですがな。塵離れたら密教成り立たん」といわれた。
塵とは煩悩だ。
すべては「煩悩」を離れられないとこの字は語っている。
じゃあ四弘誓願の煩悩無尽誓願断はどうなるの?
密教の五大願には煩悩無尽誓願断はないのだ。
代わりに福智無辺誓願集がある。
無辺の福徳と知恵を誓って集めよう。
すごい欲ですね。
これを「大欲」という。
誤解を恐れず言えば世の中を豊かにするのは煩悩の所作だ。
大欲には個人だけの福徳はない。
皆豊かに幸せになってほしい。
そういうことだ。
突き詰めればこれ煩悩の極みだ。
煩悩がまるでないところに吉祥天は用はない。