大晦日の今日、深沙大将を拝みました。
深沙大将は十一面観音の化身です。
来年からなるべく欲を減らす祈りをしていこうと思う。
仏教的に言えば放下です。
深沙大将には三使者がいて食欲、淫欲、睡眠欲など基本的欲求に関わるところを少なくする誓願がある。
欲がすくないのは楽です。
欲があればあるほど苦しむ。
仏教の基本姿勢はそれでしょう。
でもここが大事!
「欲はよくない」という言い方は人を幸せにしない。
言い方を変えれば、「夢なんか捨てろ!望みはよくない」ということになる。
それって嫌でしょう。
こういうの強制すると変な宗教になる。
それは自分が「この欲望を捨てた方がいいな」という理解と気づきがないと何も意味がない。
欲があることに罪悪感があれば最終的には「生きてて御免なさい」ということになる。
あくまで自己のため、自分がよりよく生きるためにに欲を減らすという理解がないと意味をなしません。
そこは徹底して自分主義で考えていい。
自分にとってのことですから、交通法規のように有無なく守らされても何の意味もないのです。
欲があるのを怒る神も仏もいない。
そんなのは罪悪感のでっち上げた偶像です。
本当の偶像崇拝とはそれだ。
木や金の神像を拝むことにいかなる罪もない。
そう言う意味では私は一神教の方が偶像崇拝だと思う。
密教では大欲というが、それは自己を離れた公の欲であります。
それの大欲があれば苦しむが、それは菩薩の大悲というものです。
無欲を突き詰めれば羅漢道になる。
大乗なら大欲はなくてはいけない。
大欲ももちろん煩悩。極めて大きい煩悩です。でもそれは捨ててはダメなのが大乗仏教の考えです。
これからはなるべく小さな欲は捨てて大欲をこころがけていきたいと願うものです。