金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

吉祥天の「離塵不可得」のお話

吉祥天の種字はシリ―という梵字で文字通り吉祥をあらわす言葉ですが、

信貴山の故野澤猊下に毘沙門天供の手ほどきを受けているとき、猊下が吉祥天の種字について

「シリ―は離塵不可得でっせ。羽田はん。面白いなあ。」と言われた。

不可得はお不動さんの因業不可得と同じ。

「得ることができない」の意味。

だから離塵不可得は煩悩の塵を払しょくできないの意味。

 

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煩悩といってもいろいろある。

生存欲まで考えれば当然そこは離れられない。

横には衣食住、縦には性欲がなければ命は存続していかないよね。

大乗仏教では存在は肯定します。

灰身滅智はめざすところじゃない。

 

でもそんなとこまで掘り下げなくても普通に貪瞋痴も離れられない我々。

煩悩無尽誓願断といいますね。

煩悩は無尽。

それがありのままの私たち。

吉祥天は福徳の尊。

ハッキリ言ってそもそも煩悩のまるっきり無いところに福徳は用はない。

  

現世利益なんか仏教の目的ではない・・・とはいえ、世間の福徳が失われて苦境に立ってはじめて仏教に目覚めるのが人だ。

じゃあ世福は関係なくないんじゃないかな。

煩悩が消えない前提なら、堅いこと言わずもっと寛容にならないといけない。

許すこと。

受け入れること。

とらわれないこと。煩悩にも、煩悩のなくならないことにも。

 

それにはどうする。

・・・先ずおおらかにニッコリしないとね。

かの福徳の女神のように。

離塵不可得とはそういうことでしょうか。