煩悩とは普通、貪瞋痴の三毒です。
基本はそうですが要らざる欲望はすべて煩悩でしょう。
たとえば「非時道心」といって時を得ない出家もこのうちに入ります。
時を得ないとは小津言うことか?
責任があるのに家族をうち捨てて修行も減ったれもない。
そういうことです。
良い事であってもバランスを欠くことをあえてしようとするのは煩悩です。
総じて「いらざる欲望」を煩悩という。
仏教では固定的な価値あるものというのがありません。
仏道でさえ一つ間違えばそのまま煩悩になりうる。
逆に金銭と言えば「煩悩」と思うのは愚かなことだ。
善事といえどもただで行えるものは限りがある。
必要な欲は熾盛であっても煩悩ではない。
全てが等価値であり、時節を得ることによってその真価を発揮します。