浴油とは簡単に言うと尊天が香油のお風呂に入り、いろいろな煩悩の穢れ、業を除いて本来の大日如来のお徳をあらわすための行法です。
尊天自ら垢穢の魔王身を示現し、自ら本来は存在しないその穢れを洗って見せてくださるのです。
この間ご信徒であれば自らの不浄の欲を極力洗ってその是なるか非なるかを顧みるべきです。
つまり自分も心のお風呂に入るのです。
浴油中、毎度日参しても御宝前に毒々しい三毒熾盛の欲願をなんとしても祈りこめようとするものは浴油の何たるかを知らぬものであります。
これは護摩も同じこと。三毒の煩悩を智慧の焔で焼き尽くすのが護摩です。
つまり貪瞋痴になぞらえた供物を火に投げ入れるのが本義。
供物を焼いて天に届けるというのはバラモン教の発想です。
仏への最高の供物はおいいしいものをあげるのではなく三毒を浄めることなのです。
これはどの行事も同じです。
いかに三毒から離れるか手立てを尽くしたのが密教行法。
畢竟、仏教で最も離れるべきは三毒の煩悩であります。
その祈願で思い切り三毒をたくましくする。
矛盾以外の何物でもない
だけど生きてる以上煩悩はつきもの。煩悩のない人はいない。
源信僧都の言われるように「妄念はもとより凡夫の地躰」
永遠に煩悩の絶え間のない存在こそが我々です。
だから祈りもずっと続いていくのです。