生駒山のもとの貫主であった 故松本実道長老のご著書「仏とともに」を読んでいたら次のようなことが書いてあった。
これは聖天様だけではなくあらゆる仏様に対する信仰に言えることだ。
信仰や供養していてもなかなか良くならないという人の話をたまに聞くが、機縁が熟した時にご利益が現れるのだ。その時を待てるか否か、そこでその人の信仰は試されると思う。
「」内が引用 天尊とはここでは聖天様のこと。
「信心をしても今すぐその効験が目に見えないから」
ということに対して、
「せっかちな今の人達にはもっともであろうが、信心だけではなく、植物にしても種をまいてすぐに花咲くわけはない。
どんなことでも機縁が熟さなければならない。早く花を咲かそうとして一時にどのくらい肥料を施しても時期が来なければ咲かぬように。
しかし時期が来た時、立派な花が咲き実を結ぶためには常に施肥と手入れが肝心であるように、信仰も平常の信心の徳を天尊に預けておかねばならない。預けてあるがゆえにサテという時に役立つのである。
しかも人に預けておくと時には間違うこともあるが、天尊に信心を預けておけば滅多に間違ったり不払いになることはない」
「私たちがすでに天尊とのご縁をいただいているのは冥護を受けているしるしではなかろうか。要はこの法縁をどう育てあげ、どう信心をお頂けするかであるが。これ一つにかかって今後の信心の道の歩み方による」
この本は若い時に買ったものだが、今読むとその時には分からなかった事が書いてあり深い内容だということに気がついた。
松本長老には一度だけ生駒山で親しく聖天様についてお話を伺ったことがある。
初対面なのにとても親切丁寧に教えてくれた。
後に私が2回目の伝法灌頂受けた時の大阿闍梨であった。
そういうご縁からであろうか、後に松本長老から浴油を授かっているあるお寺のご住職から、私は浴油を伝授うけることになった。
扁額 雨宝院蔵