もう一つ学生の頃の思い出で生駒の聖天さまに初めてお参りした。
日本一の聖天様に来た思いで胸がいっぱいになった。
そして帰りに参道の茶店で休んだ。
関西のこうした霊場の茶店は面白い。
盛り寿司や冷し飴など関東にないものがある。
中からおばあちゃんが出てきてお茶をくれた。
「あんた若いのに聖天様にどこからおいでかね。感心やね。」
とニコニコ顔で屈託がない。
信仰してる若者を感心という年配者は多い。
だが、一体なぜ感心なのかはさっぱりだ。誰もそこは言わない。
そういうことが多かったのでリップサービスくらいに思って気にも留めなかった。
だが、お茶を出しながら話してくれたその次の言葉は私は今でも忘れない。
「信心してたら人間ウソはいえへんわな。正直に生きなあかん。神仏がいつも、いつも見てるからなあ。」
まったく無門関の「点心徳山」の公案のように、私は茶屋のおばあさんの言葉に頭をぶん殴られた。
信心の徳というものをはっきり教えて頂いた。
難しい仏教書を読み、礼拝次第をそらで揚げられても、これを生きないところに仏道はないと知った。
これだ‼
来てよかった。本当に、
「天尊からのお言葉、たしかに授かった!」と思い、かみしめながら生駒山の坂をおりていった。
神は人をして言わしむとはこのことだ。