何故仏尊を祈ることで救済されるのでしょう。
仏には誓願がある。
仏自らの誓いです。
密教で言うなら五大願というのがあります。
現世の救済や世福の祈りなら、この中に「福智無辺誓願集」というのがあります。
「福徳と智慧は無辺なれど、これを誓って集めん」というものです。
これがあるので商売や様々な世福も祈れるのです。
このほかに別願というのがある。
これは尊によって違う。いわば「これこれという御利益がある」とか言う部分です。
代別して息災、増益、敬愛、降伏の四種がある。
どの仏を頼むかはこの別願によるものでしょう。
仏は自らこうした願を立てているので、たとえば如何に供物をささげ、祈願料を費やすとも、誓願にないことは祈っても無駄です。
誓願にあえば救われる。
阿弥陀の念仏十念による極楽往生もこれです。
基本的に仏の側に否応はない。
譬えば念仏であれば、深心、発願心、回向心が大事であるといいます。
要点はその祈りが届くか否かです。
密教ではその祈り方を説きます。
護摩も浴油もそういうものです。
それをより確かにするための「寺院のご祈祷」ということであると思います。