わが師の浴油のお師匠様は即真周湛お座主だったと聞く。
天部の行法はただ、知っているのみならず実際修している方から伝法を受けるのが良いとされる。
さいわい即真座主はこれを修しておられた。
それで東京の聖天さまのお寺に行くならと聖天供を御伝法下された。
お座主ご自身は修すると言っても常修ではなく一年にいっぺん大晦日だけ浴油をされた。
それだけだったそうだが一年として欠かさなかったらしい。
お座主は至って質素な生活をされていて、それについてこう述べられた。
「聖天は福の神だが私はお金持ちにはならなかった。だが、こうして座主にまでなれたのはなによりも尊天のお陰だとおもっている。」と語られたそうである。
人生に咲く花は色々だ。
必ずしも自分が好きな色を咲かせられるとは限らないのも人生だ。
だが、そこにこそ人生の妙味がある。