尊天の利益を受けて人生の花を咲かせてみたい。
そう思うならどうしたらいいだろうか?
まず、花を咲かせるには、現実の植物同様に丹精だ。
これと決めた道での絶え間ない努力精進。
殊に密教ではお花には「六波羅蜜」の内「忍辱波羅蜜」と言って風雪に耐える花の強さをそこによせる。
いかに刻苦努力していても途中で腹を立ててやめてしまえばそれまでである。
これと決めたらやめぬこと。なんとしても辞めない。
人間どんな天職であっても「ああ、もう無理だ。やめてしまおう。」と思うことは必ずある。
絶対あるが、そんな時に理屈をあれこれつけてやめないことだ。
そうして尊天を信じながらその道を歩んでいけば、時間はかかるがきっと花は咲きます。
その道はぬかって泥んこになることもあれば、転んですりむくこともあろうが、必ず花は咲く。
それが尊天の利益だ。
「なあんだ。そんなの普通じゃないか。祈ればあっという間にすごいことが叶うんじゃないのか?」というなかれ。
土台がなく夢幻のように得た大きな御利益があったにせよ。それは驕りや増上慢を生むだけでしまいには夢幻のように消えてしまう。
ひたすら土台を培う。土台なくして真のご利益はない
そうあってこそ人生の意味も分かるのではないだろうか。