羽田談
忍辱は大事な徳目です。
忍辱波羅蜜と言って仏智への道である。
一々腹を立てていてはこころの進歩は測れない。
仏教の精神は心の進歩であり、平等であることがまず何よりも大事なのではない。
平等が一番大事なら扱いがささいな違いでも、おかしいだろうといちいいち抗議するだろう。
どうでもよいことでも人と違うからというと不平等だと腹をたて、そういうことに敏感でいては「こころの進歩」などありえない。
そこに忍辱は生まれない。
だから何かと些細な差異にまで激しく文句を言い立てるような人に修行の心はないと私は思っている。
「釈尊ついに怒りたまわず」の言葉が法華経にある。
釈尊においては議論ならぬただの誹謗中傷などは受け取らないという態度で一貫した。
無視だ。
釈尊は「人が贈ったものが何であれ、相手に受け取らないならそれは誰のものだろう。送り主に帰るのではないか」と言われた。
怒りは功徳を一時に失う行為を人にさせる。
つまらないことで一々爆発していてはいけないが・・・
ただし、人間の尊厳がふみにじられる言動や暴力を加えられたりしても、黙っていては大乗的にはよろしくない。
我慢して良いことと我慢してはいけないことがある。
最近多い、性的暴力や児童虐待、動物虐待なども黙っていてよいわけがない。
それを黙っていることは仏教の忍辱とは言えない
大乗は世をただすための社会正義の行為を否定するものではない。