金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

死に逝く人は独り

今朝、大森先生と話をして一遍さんが「道を行くものは最後に人知れずひっそり死ぬのが良い」と言われていると聞きました。

それいいですね。

むかし亡くなった瀬戸内寂聴尼が「心中なんか無駄です。またったく一緒になんか死ねないですよ。死ぬときはだれでも独り」と言っていたがその通りでしょう。

皆に囲まれて「いまか、いまか」などと看取られるのはうるさくて死ねない。

まあ、死をみとる人は必要かもしれないが死に行く本人は独り。

 

「あなたがオギャアと生まれた時は周りが笑顔であなたは泣いている。

死ぬときは貴方が笑顔で回りが泣いている」

これが理想だなんてよんだことあるけど、・・・・

 

別に泣いてなど欲しくはない。喜ぶ人はいるかも(笑)

死ぬときにまで自分への思惑などどうでもよい。

「そういえばみなくなった・・・」という野辺の鳥や獣のように死にたい。