仏説では畜生を愚痴の境涯とするけども…実際はどうだろう。
動物は色々な不都合を結び付けない。
例えば巣穴が壊れ、餌が他の動物に奪われ、せっかく産んで育てた子供が死んでしまっても彼らはそれを結びつけてより大きな災難と認識したりしない。
人間にはついていないという言葉がありますよね。
ちょっとしたことでも、あれもこれもと不幸を数えては思い合せて人間は愚痴を口にする。
動物はこれはこれ、それはそれでコツコツまたやり直していく。そこに愚痴はない。
そういう動物程度の知恵があれば壺だの多宝塔だの恐怖心から家財を傾けて買うこともない。
そういうと因縁を否定するのかという人もいそうだが、因縁とはクソも味噌も一緒にすることではない、不都合があると即、前世の悪業の、先祖の不成仏という考えは大乗仏教の本道ではない。
これの原因はこれという風なのが正しい因果論であって。あれもこれもひっくるめて因縁が深いからそうなったという説明は説明になっていない。
まさに愚婦愚民の考えだ。
そういう粗雑の因果論は人をして迷信の闇の中を右往左往させるだけだ。