密教は象徴の宗教と言われる。
たとえば如意宝珠は菩提心の象徴、舎利つまり仏教のエッセンスと同じという。
だが同時に豊かさの象徴でもある。
無数の宝を生む。
聖天でも荼吉尼天でも弁財天でも多くの財福神は三昧耶形は如意宝珠。
ですが・・・
そういう説明聞いても大概の方はそこからは「なるほど菩提心の象徴か。フムフム」でおわり。ですよね。
如意宝珠は菩提心なのだ。菩提心とは…ということはなかなか難しい。
結局字面はわかったようでその実はわからない。
そういう書籍を山ほど読もうがそれだけでは何もわからない。
「密教を勉強したいんです。」と言ってきた人
勉強したいなら佛大の講座でも聞きなさいよ。
だが救いは別だ。
そういうことがわかってもわからなくてもありがたいと思って拝めばご利益はある。
それが宗教だ。
知識に長け、知的に理解すればご利益が増大すると思うのは全くの考え違いだ。
哲学というものは理解しない限り全く意味がない。
だが、宗教はそうではない。
まずすべきは如意宝珠の説明より拝むこと。
説明は後だ。
弘法大師は故に密教をしてただ曼荼羅を見よと教えている。
これが初発心・第二の三昧耶だ。
説明を聞かねば拝めないという方。
そういう人は聞いたところで本当には拝めやしない。
「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」西行法師
宗教はアタマよりこころのものだ。